『リスボン大地震 世界を変えた巨大災害』
ニコラス・シュラディ
山田和子訳
白水社
\3800+
2023.8.
発行されたことを知ってから、ずっと読みたかった。しかし、なかなかこの価格では手が出ない。ほかの買物とのバランスを考えると、なんとか中古で安くならないか、と待っていた。ならなかった。だが、監視を続けた。すると、半額になった。それまでと比べて格段の値落ちである。但し、安いのには理由があった。紙の表紙カバーがない、というのである。だか私は、それで手を打った。カバーよりも中身がきれいであれば良い。そして、中身は実に美本だった。これで心ゆくまで線を引くことも、附箋を貼ることもできる。
長い前置きだったが、私は長くリスボン大地震に関心を寄せてきた。カントが地震の論考をまとめたのも、そのためである。科学的にはいまでは相手にされない内容なのだが、地震に対して神罰だ云々という程度の了解ではなく、科学的なメカニズムがあると睨んでなんとか説明しようとしたことの意義は大きいと私は思っている。『カンディード』も読んだ。ライプニッツの楽観論を徹底的に笑い飛ばした作品だが、その怒りの気持ちも確かに分かる。しかし、肝腎のこの地震の現場については、教えてくれる本が見当たらないのだ。
特に私が知りたかったのは、この地震によって欠落する教会や信仰の実態である。万聖節を襲ったこの大地震は、現代では考えられないほどの威力で被害をもたらし、敬虔な信徒たちをも一緒くたにして、起こした波に呑み込んでいった。ここに神はいるのか、との問いは当然である。たぶん実際、信仰というものが揺らいでいったひとつの理由として挙げてよいだろうと私は睨んでいる。
だが、社会において実際、どのような声があり、対処がなされたのか。教会は何をしていたのか。人々は教会に何を期待していたのか。それについて知ることが、なかなかできなかったのである。
もちろん、信仰の問題だけではなく、被災地でそのとき何がなされていたのか。誰がどのようにして、現場を指揮し、復興への道を拓いたのか。あまり表だって論じられたり紹介されたりしない事柄である。それを、リアルな眼差しで知りたいと思った。
本書は、学者が冷静に分析して証明しようと論じたようなものではない。著者は、学者ではない。評論やエッセイなどの主である。ただ、建築や都市計画などに詳しいようなので、このリスボン大地震についても、叙述するにあたり腕の見せどころがあろうというものだ。実際、政策とその実態について、生々しく描く本書は、恰もひとつの物語を読むかのように感じられた。学術的にどうであるかは知れない。しかし、ノンフィクション作品のようなものとしてでも、初めから終わりまで嘘を書いているはずがない。資料を調べてまとめたというものであれば、一定の信頼を寄せてよいのではないかと思う。とにかく、私は自分の無知の穴を、少しでも埋めたかった。それで、本書に憧れていたのである。
最初に、写真用紙で、リスボン大地震の様子を描いた絵などが20点紹介される。確かに、こういうのも見たことがなかったので、ありがたい。
内容は、八つの章とエピローグに分かれている。最初の3章は、地震発生からのルポのようになっている。そう、これがキリスト教世界に大打撃を与えたのは、これが万聖節の日だったことだ。日本のお盆のような感覚も伴っていたであろう、カトリックの大きなお祭りである。ルターが、この祭の前夜に自分の疑問を公開したことでよく知られるし、いまならばハロウィーンの祭りの翌日だ、と言えばさらにどなたにでもご理解戴けるだろうかと思う。
しかし教会や信仰などの内面についての叙述は抑え、とにかく被害の状況と救援活動、そのための政局側の動きを細かく辿ってゆく。いまでも、震災の後、国や地方がどう動くかということは、混乱して、なかなか一筋にはゆかない。それを、情報や連絡が現代とはまるで違う中で、どのようになされたか、それが生き生きと描かれる。歴史的記録書ではないから、想像も交えているかもしれないが、一定の資料に基づいていることは確かであろうから、なかなかの臨場感を以て伝わってくる。
ここで、この復興に際しての中心人物が登場する。国王直属の国務大臣のひとり、セバスティアン・ジョゼ・デ・カルヴァーリョ・イ・メロである(p36)。後に、「ポンバル侯爵」の名を以て知られるようになる人物である。以後、このカルヴァーリョの言動により、救援と復興の歩みが説明される。結論だけを言えば、それはかなりの強権に基づいた方策で、ポルトガルはこの打撃から確かに立ち上がってゆくのである。但し、その強権発動の煽りで、カルヴァーリョは最後に失脚する。英雄から、罵声の対象に貶められるのである。安易には比較できないが、ふと私の頭には、キリストの姿が浮かんできた。
その後、章はそもそものポルトガルの歴史が詳しく綴られる。これは勉強になる。高校程度の世界史には、このような一国の背景は登場しない。せいぜい、最も繁栄したときの様子が知らされる程度である。
この地震で、ある意味で首都は壊滅したのだが、しかし安易に私たちが思うほどに凋落したとは言えなかった。だが、やはり世界の最高の舞台からは去って行くことになる。それは、それまでポルトガルの一部であったスペインという関係が、逆転してゆくことに基づく。
このうちの40頁余りを用いて、第6章は「説教師と哲学者」と題され、宗教的な問題を取り扱う。最善説が崩壊していく中で、哲学ばかりでなく、カトリック教会の権威も地に落ちてゆく。ただ祈れとしか言えない教会のことを、人々は、天罰とさえ呼ぶようになる。この件については、プロテスタント側の力も加わっていたといえる。ともすれば名説教者として崇拝されるメソジスト教会の祖ジョン・ウェスレーは、イギリスで、いまなら言葉を憚るであろうようなことを叫んでいたようである。しかし、ポルトガルの人々には直接影響はなかったらしい。当時は、先に挙げたカントなどにより、地震を科学的に考察する空気も生まれ始めていた。人々はまだやはり宗教的な関心を以て、事態を捉える領域にあったかもしれないが、ポルトガルに於いても、確実に啓蒙主義の光は射してきていたのである。
巻末2は、16,7頁にわたり、引用文献と参考文献が並んでいる。最後の頁に、ようやく日本語によるものが、訳者により付加されているが、残念ながら余りに少ない。東日本大震災のときに、このリスボン大地震は日本で思い起こされた。かくいう私も、実はそうである。世界史を変えたこの災害は、地震国日本において、殆ど看過されていたのである。しかし、南海トラフの危機も想定される中である。また、本書発刊後に生じた能登半島地震において、この文明の発達したと自負する時代であっても、復興がなかなか進まない現実を私たちは見せつけられている。間接的な印象は否めないが、この300年近く前の大災害は、国と世界を変えたものとして、もっと関心をもたれてよいのではないかと思う。そのためにも、教えてくれることの多い本書が、もう少し手に入れやすい価格で、多くの人に読まれたらよいのに、と願っている。

た
か
ぱ
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ワ
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ド