本

『京都から大学を変える』

ホンとの本

『京都から大学を変える』
松本紘
祥伝社新書362
\820+
2014.4.

 2004年に国立大学が法人化され、大学のあり方に大きな変化が見られた。これについて、東大の総長としては、『新しい経営体としての東京大学』のような本を2021年に出版しており、こちらは制度や経営への強い意志を示すものだった。本書は、学生サイドに立ったものである。当時の京大総長が、学生の変質を嘆き、大志を懐けというようなエールを贈るようなものとなっている。
 大学生の質が変わってきたとまず指摘する。確かに昔に比べたら勉強はしないだろう。しかし個々人でその様子はきっと違う。ただ、ある程度ステレオタイプにして説明するのでないと、こうしたことはなかなか語れない。反対したいタイプの学生もいるだろうが、そこは少しだけ我慢して聞くことにしよう。言われるがままの勉強をしてきた秀才かもしれないが、自分が何をやりたいかなどについては貧弱過ぎるというのだ。
 特に、当時のAO入試や推薦入試は、かなりこっぴどく批判されている。お手軽入試とまで言われ、能力も気力もない学生が増えたというのである。人数的にはそれほど多くないのではないかとも思うし、AOだからだめだということもないと思うのだが、総長さんは、それなりのデータも用意しているから、それもおとなしく聞いているしかないだろう。尤も、その後AOの後の総合型選抜は、共通テストも大きくものをいうことになっているので、決してお手軽ではなくなってきているので、その後の京大がどうなっているのか、興味がわく。
 著者は、学生として京大に入り、その後ずっと京大に棲みついているような立場であるという。それだけ京大を愛しており、昔から今への変化もつぶさに見つめてきている。だからこそ言えることなのだろうとは思う。
 一番の要点としては、京大は伝統的に、狭い受験勉強だけをするような学生が来るところではなかった、ということらしい。雑学と言ってよいかどうか分からないが、広い視野をもち、受験科目だけしか知らないような勉強をして居るのではない、幅広い経験と知識をもつ若者がそこにいたのだ、と断言する。確かに、ノーベル賞受賞者の歴史を京大に見るとなると、そうだろう。私も京都にいたから、それはよく分かる。教授たちも、広く交流があり、狭い針の上だけの視野で学究生活をしているのではなかった。もちろん、博士などというのは、狭い針山の上に立つような研究をする者のことをいうが、それでも、好奇心旺盛で、様々な領域に視野をもち、行動範囲の広い人、そこに大きな意味が隠れているのだと考えるのである。これは私も賛成である。私は秀才でも何でもないが、このフィールドの広さは、自分でも思う。無知な領域もたくさんあるのは認めるが、なんにでも関心はもっている。トップクラスの進学塾で全教科担当できる者は、そう多くはいないだろう。
 その京大が、新しい大学の時代に改革をした。本書はそのことの報告が大きな目的であるようにも見える。2016年から入試改革を行うと言い、大学院も変える。「思修館」と呼ばれる理念をもった大学院の形態をつくり、新しい時代のリーダーを育てることを始めている。その内実も詳しく書かれてある。この辺りから、総長独自の視点から、「異・自・言」を鍛えるという理念を披露したり、「白眉プロジェクト」や「ジョン万プログラム」など、研究者や留学への後押しの制度を紹介したりする。
 教授会などの内部の改革も説明し、また京都いう街における大学のあり方についても描いている。こうした改革は、世界の中で日本の大学というものが弱くなったからである。このことは、本書の前半でかなり深刻に示されている。だから世界に出て行く人材、どこでも立ち会える知力と語学を弁えた学生を育てる使命があることが、読者にも強く伝わってくるものである。
 確かに、こういう機構的な改革も熱く語られている。制度的なところももちろん改革のための大きな要素であるのだが、その改革が、ひとえに学生を育てるという点に目標が置かれているという点で、本書は、若者に向けてのメッセージであるように、私には感じられたのである。
 ただ、一途に京大を愛する長老が、頑張っていまの時代と次の時代とをつなごうと努力している様子ばかりが書いてあるようにも見え、若い人から見たら遠いところでの出来事のようにすら感じられるのではないか、という心配も私は読みながらずっと感じていた。最後までこの調子ならば、純粋な総長だな、というくらいの印象で終わるかもしれない気がしていたのである。
 それが、最後の最後で裏切られた。自分の生い立ちを、総長はさりげなく語り始める。本の、最後の最後、数頁である。ここで、私は、やられた。それでも最初は、弱気で貧乏だった自分が、中学でテストができて自信がついた、という辺りまでは、まだ違った。それなりに、ラストで、もっていかれたのである。それは、ここには明かさない。「そうだったのですか……」と絶句したのだ。そして、この人の思うことは真実だ、と確信したのである。もし手に取る機会があったら、どうぞ私のように、最初からずっと読んで戴きたい。最後だけを覗き見することは、やめておくことを、強くお薦めする。
 やっぱり私は、京都が好きなのだと改めて思った。




Takapan
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