本

『カント哲学の核心』

ホンとの本

『カント哲学の核心』
御子柴義之
NHK出版
\1400+
2018.9.

 ちょうど同じ著者の、角川選書の『カント 純粋理性批判』を読んでいたところだった。それは2020年末の出版だが、その2年前に、カントの『プロレゴメナ』についての解説書が出ており、評判がよいことを知った。当時はノーチェックだったが、ここへきてカントを読み直していたところだったので、目に付いたというわけである。
 角川のほうは、丁寧体であったから、こちらは常体である。カントを丁寧体にしたのは、高峯一愚氏に倣ったのかもしれないし、哲学を語りかけるように優しく伝えてくることで意味があるとは思ったが、この常体のほうがきびきびしていてずばり斬り込んでくるように私には思えた。
 サブタイトルは「『プロレゴーメナ』から読み解く」となっているが、角川と同様、カントの著作を全章丁寧に辿るものである。なんとなくの概説書ではなく、真正面から著作を読み解くものである。これは、本書の「おわりに」にあるように、解説書の必要性が、(翻訳でよいから)原著にあたるために役立つという信念に基づいてのものである。日本の古典を読む時にも、ガイドブックはある。それは重宝する。哲学書も読まれなければならないために、ガイドブックが必要だという考えである。
 本の帯には「こんどこそ『純粋理性批判』が分かる!」と大きな文字が見える。これは分からない人には分からないかもしれない。が、小さな文字でちゃんと説明してある。『プロレゴーメナ』は、『純粋理性批判』の要約版なのである。
 大部であり哲学史上燦然と輝く『純粋理性批判』は、やはり当時出版されたとき、全くと言っていいほど理解されなかった。カントはそのため、この壮大な理性批判、換言すれば形而上学の存亡のための唯一の道を、理解しやすい設計図を公開することで読者に提示した。その著作も必ずしも理解しやすいものではなかったが、簡潔性からしてもまだ読みやすいものである。まず『プロレゴーメナ』を読めと自分が18歳のときに勧められたことをまとめてみた思い返しながら、著者は本書を世に問うこととなったのである。
 カントの批判哲学は、いわば判断する自分自身を検討しようとするものである。それは人間の知りうることの限界を思い知らされることにもなる。しかしどこまでが分かることがてき、どこからが分からないのであるか、それは無用な争いや探究に迷い込むことから私たちを、守ることにもなるだろう。著者は、批判哲学を知ることは、今日的意義があるのだと確信している。
 カントの本文を自ら訳して提供する。カントの口調にも触れる必要があると思うからだ。それがきっと、カントの著作を自ら読むための準備となると考えているのである。それが本書の狙いなのである。そしてその段落の言わんとしていることを説明する。ほどよくこなれた説明となっているし、私がよいと思うのは、カントの言おうとしていることを、具体例で語ってくれることである。カントは殆どそういうことをしていない。議論が概ね抽象的で終わってしまっているのである。稀に例を挙げたものが、必ずしも分かりやすくないのもネックだが、とにかく具体的に語ろうとはしない。そのほうが、論ずるべきことについて誤解がないと判断したのだと思うし、あるいはまた、さらに長大な著作となる無駄を避けたのかもしれない。本書は、理解しやすいものである目的があるから、例示を怠らない。それがなかなか適切な例であると思われ、読者にとり確かに親切なのである。
 帯に「初の入門書」とある。本当に「初」なのかどうかは別として、「カントの考え方を根本から理解する初の入門書」というあたりは、賛同してもよいかと思う。言ってはなんだが、イラストひとつなく286頁でこの価格は、今時安い。もちろん内容の良さを含めて、お薦めである。




Takapan
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