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『晩年のカント』

ホンとの本

『晩年のカント』
中島義道
講談社現代新書2603
\900+
2020.1.

 2021年1月発行の知らせを聞いてすぐに注文。中島義道氏といえば、過激な発言で知られる哲学者を思う人も多いだろう。当人は過激だとは考えていない。当たり前のことを当たり前に言っているだけだ。これが出版社側からしてもいけると思ったのか、その著述は幾多の本となって、書店を賑わせている。
 れっきとしたカント学者だ。著者は当初から、死への拒否感を丸出しにして本で叫び、世間の道徳的不条理に吠えてきていたが、最近はその過激さも影を潜めたかのように見えていた。ようやく大人になったのか、などと妙な合いの手は入れないようにしよう。著者も74歳、ここへきて、半世紀余り付き合った哲学者カントの、晩年に思い入れが強くなったかのようである。
 というわけで、この新書は、カントの晩年の様子を描く。案外、ここに的を絞った本というのはなかったように思う。三批判書が挙げられるか、または国連形成の動機となった永遠平和論、または通なところで太陽系の生成理論あたりが、カントとくれば知られているところなのかもしれないが、その晩年の惨めさは、立ち入った伝記的な本の末尾に添えられた程度のものでしかなかった。
 カントの散歩時刻が正確であったために、街の人はカントを見て時計を合わせたなどというエピソードは、教科書にも載っているほどだが、この散歩がありえたのは数年間に過ぎないということなど、カントの実生活そのものについて紹介する本書は、実に興味深い。そもそも思想というものは、その生活と無関係に出来上がるはずがないのである。カントの厳格主義は、その生活の厳格さと並行的である――などというと、あてが外れよう。
 そう。カントを読む者にとり、カントが社交的でユーモアたっぷりの人物であったことは常識である。その著作は、教養ある人々にとりたまらなく面白いものだったといわれる。しかし、そのサロンの様子が絵に描かれているので私も思い込んでいたが、実は相当に質素な生活を送っていたために、絵のような華やかな席ではなかったとのことである。そのような、カントの下品な(?)食事風景まで、本書は暴いてしまう。
 大学講師としての哲学者は、カントが嚆矢である。それまで哲学者は、在野で活動するか、パトロンに雇われていたり、あるいは政治家の片手間であったりしたのだ。カントのその大学での活動は、後半生での批判書の刊行から著名となったが、その「宗教論」から、怪しくなる。当局から睨まれ、国王から脅されるのだが、しかしカントも皮肉たっぷりの言葉で応戦する。その上で、結局はどこか従わざるをえないところが、果たしてカント自らの道徳哲学からして齟齬を生じることではないのか、と著者は問う。
 また、そんな「宗教論」のトラブルの最中に尋ねてきたファンのフィヒテに辟易していたカントは、若き熱血漢のフィヒテに耐えきれなくなるのだが、フィヒテもフィヒテで、出版の機会を設けてくれたこの恩人とは激しい対立を仕掛けてくる。およそ哲学者の師弟的な交わりは、まともなものではない、ということも本書は暴く。
 そして晩年のカントが、本来成し遂げたかったことに対してどう挑んだか、本当はやりたかった形而上学の関係を、体力と知力の衰えがついに阻んでしまったという経緯をも本書は紹介する。女性蔑視のくだりは、時の隔たりを強く感じさせるが、当時は女性もそれを喜んでいたというのが、社交というものであったのだという文化として、とりあえず受け止めておくことにしよう。17世紀末の日本のことを伝え聞いたカントが、ケーニヒスベルクを一歩も出なかった生涯を送りながら、日本のこともかなり詳しく、そして多分に的確に評しているところなどにも触れながら、悲しいカントの最期に至る。
 哲学者とは何か。そのある意味空しいところをも、著者は見ている。それは自分自身に言い聞かせようとしているかのようでもある。自虐に聞こえなくもない結論部分だが、さて、その表向きの絶望感が、本当のところはどうなのか、それは読者が感じ取ればよいし、実のところ著者は、読者は分かるまい、とほくそ笑んでいるか、そういうところも、哲学に足先を突っ込んだ私には、見えてくる楽しい本であった。
 1804年2月12日未明、カントは永眠する。最後の言葉として伝えられている「Es ist gut」(英語なら It is good)も、著者は決して美化しない。それが、カントに対する最高のリスペクトであるだろうからだ。私はそう受け止めた。




Takapan
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