本

『カント 純粋理性批判』

ホンとの本

『カント 純粋理性批判』
御子柴善之
角川選書
\3080+
2020.12.

 私は電子書籍で購入して読んだ。「シリーズ世界の思想」として、同じデザインの表紙で何冊も出ている中のひとつ。カントを比較的優しく解説しようとする点で有名かと思う著者により、『純粋理性批判』を最初から最後まで辿る、分厚い本である。原著を、もちろん翻訳でも構わないから、自分で読む人のためのガイドというコンセプトである。
 かつては、高峯一愚のものがよく知られていた。考えは似ていると思う。そして分厚かった。だが、丁寧語で語るカントというのは当時新鮮であったし、かみ砕いて分かりやすく解説していたので、私は実にお世話になった本であった。本書もその丁寧体を踏襲しているのは、やはりその本を意識していたのではないか、と私は勝手に推測している。
 しかし、よほどでなければ、本書のようなものを読もうとはしないのではないかと少し心配する。哲学科の学生、カントを研究しようと決意した者、どうしてもレポートで純粋理性批判について凝ったものを書かなければならなくなった者、あるいは私のように、かつてカントを研究した者がいま一度こうした概論で思い出してみようか、みたいなノリ。記憶では理解できているが、改めて開いてみると、そうだったのかと思わされることも多々あるし、いま見ると、こんなにもカントは繰り返し本音を言っているではないか、とあの頃気づかなかった点に気づかせてもらう効果もあるだろう。ただの教養で、有名なカントの著書に何が書いてあるかを、全編を通して知りたいというほどの情熱がなければとても手を出す代物ではないだろう。
 しかし、近代という枠を構築したカント哲学は、構造主義だのプラグマティズムだので乗り越えられてしまったのでは亡いか、と思う人もいるだろう。私の見解では、表面上は確かにそうなのだが、近代的なものの見方そのものは、いまの私たちをも同様に支配しているように思う。同じ地盤に立っていると言える野では亡いか、と。逆に、ギリシア哲学となると、基盤が違うことが分かる。同じ概念の言葉を使っているようで、考え方がまるで違うことを覚える。日本でも、室町時代あたりまでは、あまり大きな差異なくいまの私たちの考え方で思想を辿ることが可能なのに、平安期となると、もう別の国のように文化が異なることをまとめてみた感じるはずだ。つまり、応仁の乱から後は、考え方の枠組みがある程度共通していると言えるのだ。カントも、いまその思想を私たちが読み直したり、意識したりすることは非常に有意義な営みではないか、と思っている。
 とにかく、『純粋理性批判』の各章を全部案内してくれる。誠実であり、真摯にカントを伝えようとする意気込みを感じる。引用もあちこちにあり、その言葉の意味をかみ砕いて説いてくれる。ありがたいのは、著者が工夫して示してくれる「例示」である。カントの例示は実に少ない。根本的な命題や概念の紹介において、もう少し具体的な例を以てその意味を伝えようとしてくれればよかったのだが、殆どなく、抽象的な議論で進められていく。それは、下手に例示をすることで、却ってその例示の不備を責められることを回避したのかもしれないし、そもそも例示や喩えというものが、伝えるべき哲学概念を曖昧なものにしてしまうことを恐れたのかもしれない。しかしこれは解説書である。その例示を以て、カントの言わんとしていることを読者に理解してもらおうと努めている。これは確かにありがたいものである。
 著者の解説の都合でもあるだろう、日本語訳は著者の訳文を用いており、規定の訳書をそのまま引用しているのではない。だから、引用文と解説とのリズムがいい。なお、引用においても原典の箇所を示すことで、原文にあたりたい人への配慮も示している。あるいは、日本語訳でも、この原典の頁数が載せてあるのが普通なので、訳書にも当たりやすいようにしているということなのだろう。
 それが「マップ」が本書の特長であると言ってもよいだろう。ひとつの構造物のように、『純粋理性批判』の各章の関係を、視覚的に見せてくれるのである。アルゴリズムではないが、それにいくらか似たような図があり、いま自分たちはどこにいて何を読もうとしているのか、が分かりやすいようにしてある。これはまた親切だ。
 カントの文は晦渋である。ドイツ語も、プンクト(ピリオド)がその頁についにひとつもなかった、ということが幾度もあるカントは、関係代名詞で次々と文をつないでいき、細かな概念を説明していくのであるが、そのときには、主文と枝のところとが明確になるように訳していないと、途方もなく長いその一文の最初の主文に続いて、次の頁から「しかし」に続くようなことがあると、訳書では何が「しかし」なのか全く分からないということにもなる。だから、邦訳にはこうした道案内がどうしても必要なのである。
 最初の数頁は「序章」として、カントの生涯が短く紹介されている。あまりに簡潔なのでその奥深さまでは分かりにくいかと思うが、しかしなかなか良い伝記のようなものなので、これもお薦めである。
 これだけ長いと、大切な考え方は幾度も幾度も繰り返される。だから少々分かりにくくても、構わず読み進めてよいのではないかと思う。後になってだんだん意味が分かってくるということは大いに期待できる。ただ、カント自身、同じ語を違った意味で使うことは度々あり、そもそも検討するべき「理性」も、広義も狭義もいろいろあり、読み慣れないと混乱する可能性が高い。その意味でも、本書はその都度そうした点に触れているので、良いガイドではないかと思う。
 また、巨大な構築物としての『純粋理性批判』でこれだけ手間がかかったのであるが、そこには第二批判たる『実践理性批判』の思惑は確かに見え隠れしており、著者も気遣っている。そこで本書で、『実践理性批判』まではなんとかガイドが役立つものとなっているだろうとは思うが、第三批判や宗教論については、直接は頼りにならない。お忙しいこととは思うが、『判断力批判』や『宗教論』にも、本書のシリーズが及ばないだろうか、と、無理な希望を言ってみようかと思う。




Takapan
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