本

『カラマーゾフの兄弟(全5巻)』

ホンとの本

『カラマーゾフの兄弟(全5巻)』
ドストエフスキー
亀山郁夫訳
光文社古典新訳文庫
\4000+
2012.2.

 価格は五巻の合計である。それはともかく、ついに読んだ、というのが実感である。昔読みかけて挫折した。それを今回、中古本で格安で全巻購入した。それでも本は実にきれいだった。通勤電車の中で読むのでちまちまとしか読めなかったし、他の本も併せて電車で読むタイプなので、遅々とした歩みであったが、継続的であったので十分楽しめた。確かに、本書の解説でもあるように、一気に読むのが面白いだろうとは思う。だが、そこそこ細かな表現にも気づくように心がけ、黄色のラインを引きながら読んだ。とにかく読んだ。読んだぞとうれしくなった。
 本書は新しい訳である。「いま、息をしている言葉で」を合言葉に生み出されるこの新訳文庫から出すこととなった訳は、原文にもちろん忠実だと言えるが、猫の目のように変わるロシア語の名前のわかりにくさを解消するなど工夫もしているという。一時「超訳」という言葉で読みやすい翻訳の本がもてはやされたが、その路線にあるとも言えるだろう。新潮文庫など、他のものと比較しているわけではないが、確かに昔のように挫折する余地はなかった。文学音痴の私が読み進められたのであるから、訳が合っていたということになるのだろう。
 もちろんここであらすじや内容に触れることはできない。しかし世界に冠たる名作である。そして、これはキリスト教についての十分な知識や理解がなければ、気づかないようなこと、読み取れないことが多々あることは間違いない。そんなことを言い出すと、欧米の文学作品は多くがそうだと言えるのだが、ロシアにはまたロシア独自の正教の背景がある。ゾシマという聖人めいたキャラクターも大きな意味をもつ本作品においては、なおさら、神の存在というレベルから、善悪の問題など、神学的に踏み込んだ内容が随所に見られる。だからまた、私にしてもいまになってようやくその意味で読める段階までやってきたのであるかもしれない。
 もちろん訳としてもすぐれている。エピローグの、賛美賛美で終わるところなどは、思わず涙が出てくるものであったが、この文庫の良さは、やはり解説であろう。文庫300頁にわたる解説なと、かつてあっただろうか。それだけで十分、ドストエフスキー論として新書か文庫になりうるものである。ドストエフスキーの生涯と本作品についての解説であるが、訳にまつわる説明とその謎解き、そして訳者自身の解釈というものが、わくわくするほどに展開する。もしもこの「カラマーゾフの兄弟」を十分によく知っている人がいて、別の訳で読んでいるためにこの文庫を全部読む必要はないと思った人がいたとしても、この解説の第5巻だけを求めても価値がきっとある。最初の60頁が物語のエピローグであり、その後は全部解説である。
 ドストエフスキーは、この作品には第二部があることを匂わせている。それは直にそう書いて語り手が話を進めているというのもあるが、実際、第二部で解決すべく放り出されたテーマや登場人物の気になる行方などが宙ぶらりんになっており、それが尽く解決するように仕向けられる予定であったのだろうと訳者は推測する。それはほぼ間違いないことだろう。ドストエフスキーはその第二部を考えて当然これを書いているのだが、病気で急逝した。そのためついにその構想は作品となることはなかった。いわば「カラマーゾフの兄弟」は未完なのだ。
 そこで訳者は、第二部での完結編ではどのようなことになるはずだったのだろうか、と推理する。言葉の隅々まで調べ尽くした訳者ならではの挑戦である。そして、一つの仮説ではあるが、ある見解をここで紹介している。もちろんいまここでそれを明かすつもりはない。私は個人的に、もうちょっと何かが足りないと感じている。訳者が表しているほかにも、ある解決があるのではないかと感じるが、それはキリストを深く絡ませる、あるいはキリスト自身が現れる作品である。この「カラマーゾフの兄弟」でも、キリストが登場し、裁かれる場に立たされるというどこか倒錯したシーンがある。神学的議論にも関わり、文学としてだけでなく、キリスト教の思想においても何かと言及されるところであるが、それが別の形で再現されて大団円となるのではないか、と思うのだ。素人の気分的な意見でしかないので、どうかまともに相手になさらないで戴きたい。それよりも、訳者の綿密な検討をどうか楽しんで戴きたい。
 ドストエフスキーが自分の名前を本作品の殺される父親の名前したのか。その背後には、ドストエフスキーの父親が農奴により殺害された体験が必ずあると訳者は指摘する。その殺害の地名も、物語の中で大きな意味をもって登場する。そしてまた、本作品は父親殺しが大きなテーマである。ここに関連がないわけがない。しかし、どのように? そこが訳者の持ち味である。どうか解説で楽しんで戴きたい。
 訳者は、世界最大の文学だと推す。最大と言ってよいかどうかは知らないが、最大級であることは確かだ。しかしそれは未完である。その先は、ドストエフスキーが霊媒で呼ばれて応えない限り、永遠に謎である。だが、その後の人類が、もしかするとその未完を補完していくように促されているのかもしれない、とふと思う。カラマーゾフという兄弟が、罪性をもつ、そしてアリョーシャのようにどこか無垢な部分ももつ、そんな「兄弟」として、私たちはどんな永遠に近づくのであろうか。そういうところを見ようとする私は、訳者のように社会制度の中に解決の道を見出すようなことに留まらず、人類の永遠へのアプローチのように、本作品から続けて道を延ばしていきたいと思うのである。




Takapan
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