本

『KYOのお言葉』

ホンとの本

『KYOのお言葉』
入江敦彦
マガジンハウス
\1575
2005.10

 浸った。京都で曲がりなりにも十数年暮らした者であるがゆえか、この本の世界に引きこまれて、出られなくなった。
 京言葉についての本も、多々ある。いくつかを見た。それなりに魅力的だった。だが、この本ほど、京都の世界の中に引きずり込んだ本は、なかった。読んでいるとき、私は完全に、京都にいた。
 ポピュラーになった京言葉が、京都を示しているとは、思っていなかった。京都の人が使う言葉や考え方は、よく紹介されるものとは違うことも、よく分かっていた。「はんなり」なんか、聞いたことが殆どない。「ぶぶづけ」も、実生活ではありえない。だが、この本が冒頭に掲げている、「よろし」は、数限りなく聞いている。そして、その言葉にどれほどの隠された心があるかを、この本でまざまざと見せつけられた思いがした。こんな言葉を解説する本は、これまで、多分なかった。
 その冒頭に掲げられた、4つの京言葉というのが、「よろし」「ややこし」「ほんまに」「よう知らんけど」である。これなら、聞く、聞く。ふんだんに、浴びせられた。そして、そこには、どんな意味合いがあるのか、うっすら体験的に悟ってきたものがあるのだが、この本は、それをこれ以上はないくらいに、明解に晒しきってしまっているではないか。
 だから、驚いた。こんなに、京言葉のニュアンスを、面白おかしく、全部晒していいのか、と。
 いや、他人が心配する必要はないだろう。都として千年どころではない時間を機能し続けた町である。言葉で自滅するようなへまはやるまい。生き残るためにはどうすればよいか、それを実践してきたがゆえの、言葉である。それは実に逞しく、生きながらえてきた。だから、世界に輝く難解語たる地位も築いた「なぁ」などの語も生んだ。
 とにかく、京都に住んだことのある方なら、この本の言葉の隅々までが、生きた言葉としてがんがん響いてくるに違いない。そうでない人も、何かとんでもない京都の生命のようなものを、感じ取ることができるに違いない。
 学術的などではなく、ネイティヴな京都人の語る生活背景であるだけに、生活実感溢れる説明であり、また、絶妙な人生論でもある。これほど、京都が分かる本も、珍しい。




Takapan
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