本

『ユダヤ人とユダヤ教』

ホンとの本

『ユダヤ人とユダヤ教』
市川裕
岩波新書1755
\780+
2019.1.

 ユダヤ教はキリスト教の母体でもあるし、聖書を読むということは、ユダヤ教の文化とそこから生まれたものを受け容れるということにほかならない。だが、本書を見て打ちのめされるのは、私たちキリスト者は、なんとユダヤ教を、キリスト教に塗り替えてしか見ていないのだろうということを思い知らされたことだ。英語を全部カタカナで記したものを読んでいるくらい、違う。いや、さらにそれを日本語の語順に並べ替えて、「アイ ユー シー グラッド アム」というくらいに酷い。
 ユダヤ教とは何か。一応の定義は聞いていたが、そんな簡単なものではないことがよく分かる。キリスト当時のユダヤ教のこともあるが、現代がどうかと問われたらまるで分からないのが実情だった。
 もちろん、ユダヤ教は古代から問い直さないといけない。しかし、これがイスラム世界との関わりとなると、聖書をいくら読んでいても、全くの死角になってしまうのだ。あまりにも自分が無知であることに愕然とする。このイスラムとの関わりを欠いたまま、聖書時代のユダヤ教から、イスラエル国が復活した時代に旧につながってしまうというのは、あまりにも無謀で身の程知らずな理解でしかなかったわけである。
 それがどうであった、についてはここで辿るつもりはない。ご存じでない私と同様の方は、ぜひ本書に触れて、驚いてほしい。
 こうしてヨーロッパの近代の中に続くユダヤ人の歴史が語られると、次に信仰という角度からユダヤ人とユダヤ教について解説が始まる。それは宗教なのかという点から問い直され、そもそもユダヤ教とはどういうことか、根本的なところから丁寧に説き明かされる。著者はあとで、新書という制約の中で却って問題を単純化し、あっさり記しているという点に触れていたが、それは学問的にもしかするときっぱり言い過ぎたことなのかもしれないと言いたいのだろうけれども、それでもちろんよいわけで、読者は一つひとつ納得して受け容れながら読み進むことができる。それ以上に細かな議論は、また次の機会に検討すればよいのである。
 この信仰についての説明となると、旧約聖書の内容が母体となるので、聖書に馴染みがあれば読みやすいかと思う。しかし、神秘主義の話はそこから少し離れるので、ユダヤ人のその後の歴史と現代へのつながりを知る上でためになる。
 次に、学問という点からユダヤの思想を紹介する。タルムードの学問から、問答や対話のあり方、ユダヤの哲学とはどういうことかを明らかにする。
 最後に社会という観点からこれを見る。ぐっと現代に身を寄せることになるが、その経済活動がとやかく言われるけれども、利子についてはよく知られている。聖書にあるように、同胞から利子を取ることはできない。となると、銀行業はどのようにして成立するのだろうか。外国人からぼったくることで成り立つのか。そうではない。同胞から利子は取れないが、実質利子を取る方法があるのだ。このメカニズムを、私はほかで知らなかったので、目からウロコであった。
 選民思想やメシア論という話題を経て、現在の問題を手早くまとめる。単純にしていると言われるかもしれないが、確かに分かりやすい。
 これで本文は終わりなのだが、本書には附録がある。ユダヤ人とユダヤ教についてさらに考えていくための、文献が濃厚に紹介されているのだ。それは単に書名の羅列としてではなく、ここだけを取り出しても読み物として用いられるような形で、手際よく説明されていく。これもお役立ち間違いない資料である。
 こういうわけで、歴史・信仰・学問・社会という明確な指針のもとに、いまここにいる日本人が、ユダヤ人について、ユダヤ教について、曖昧だった概念がくっきり見えてくる世界に導かれることになる。聖書を読む人間については、ぜひ読まねばならない本だと思われる。どうぞ、線を引きまくって手許に置いて戴きたい。




Takapan
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