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『お静かに、父が昼寝しております ユダヤの民話』

ホンとの本

『お静かに、父が昼寝しております ユダヤの民話』
母袋夏生
岩波少年文庫229
\720+
2015.12.

 岩波書店の新刊には一応目を通しておくのが、学生時代からの習慣である。いつも買うとは限らないが、見落としがあると悔しいからだ。そこで、今回この少年文庫に目が留まった。「大変な」や「残す」にまでふりがながついているから、小学生にもぜひ読んでほしいという意気込みを感じる。私は電車に乗る時間のある区間でこの本を読むことにしていたのと、比較的ゆっくり味わって読もうと決めていたので、読み終わるのに三日を要した。小学生ならば、もっとかかると思われる。もちろん、読書好きな子はまたひと味違うだろうが。
 いくつかの原典を横断し、そこから選んで翻訳したものだと思うが、イスラエル地方に伝わる様々な話があるばかりでなく、ユダヤ人という範疇から、周辺諸国に伝わるお話があちこちから集められている。
 どれも、ぴりりとしたものを感じる。教訓めいたものが多いというわけで、たとえば今昔物語集を開いたようなわくわく感を覚える。多少なりとも、中東文化を理解しておくことが必要ではあると思うが、なにも聖書を知らなければ味わえないということはない。とにかく小学生中学年あたりならば何の問題もなく読める本なのだ。ネックがあるとすれば、いかにもユダヤ的な、登場人物の名前くらいではないだろうか。
 中には、タルムード(口伝律法)や、ミドラシュ(律法注解)から引用された物語というのも幾つかある。非常に味わい深いたとえとなっている。思うに、イエスのたとえ話というのも、いわばこういう部類で語られたものではなかろうか。だとすれば、何かその物語には、一見閉ざされたような律法がベースにあり、それを説き明かすために、物語で説明されたということになるのではないだろうか。聖書は聖書により証言される、というのは確かにその通りなのだが、文化的背景は、旧約と新約に制限されてよいとは思えない。現に、イエスの言動の中には、旧約の付録と呼ばれる部分、外典の中に描かれている事柄がいくつも見られる。
 それはそうと、登場するものは、経験なユダヤ人、短気な王様、知恵のある動物など、一定の了解に基づくキャラクターが揃っている。また、時に、いやらしいキリスト教徒も登場する。ユダヤ人から見れば、後の時代のキリスト教徒というのは、ユダヤ人を迫害する多数派の権力者であったのだ。それを思うと、だいぶ申し訳ないような気がした。それから、イスラムの味も加わっているところがあり、それはそれで良い雰囲気であると感じた。ここを見ると、宗教でまるで争っているかのように見える現代の困難を、解きほぐすヒントがあるのではないか、と思うほどだ。いや、子どもたちの間では、そうであってほしい。悲しいのは、子どもが戦争に駆り出されること、そのように教育されることだ。
 それはさておき、本書のタイトルは、この中のひとつの物語のタイトルである。不思議なタイトルだが、だからこそ、何だろうと思いそうなものである。本全体のタイトルとしても面白い選択だと言えよう。ほかにもたくさんの印象深い話があったが、私はたとえば、「塔に閉じこめられたソロモン王の姫君」は強く心に残った。この塔の姫君、私はディズニーのラプンツェル(そうか、その映画の日本公開は、東日本大震災発生の翌日だったのだ)はよく知らないのだが、グリム童話にもともとあるというその話、どうやらこのソロモン王の物語と関係がありそうだ。設定が非常に似ている。知恵者ソロモン王も、娘には全くまともな知恵も働かすことができなかったような有様だが、ちょっとダイナミックなストーリーになりそうなものであることは間違いない。この物語は、聖書の言葉がその最後を飾り、まるでそのことばの具体的な説き明かであるように構成されているものであった。
 また、「犬ですらうなり声をたてない」も同様に聖書のことばの具体例であるかのように書かれているが、なかなか洒落ている。こうして、魅力ある話を紹介していくと、きりがない。短くても、ぴりりと優れたものがいくらもある。昔の人の知恵というのは、見事なものだ。
 この本の最後のところは、創世記をふくらませて描いた物語がいくつか掲載されている。カインの物語のところで、ここで初めて人類に「死」が実際に登場した、という描写にはどきりとした。そういう見方があったのだ。カインの場面で、「罪」という言葉も創世記で初めて登場する。「罪」と「死」は、アダムとエバの楽園の物語、失楽園の場面でも出てこないのだ。その点、ユダヤの民話として描かれてある創造物語ではあるが、なるほどと感心した。
 子どもたちの目に触れて、ユダヤや聖書に興味をもってくれたらいいと思った。もちろん、大人が読んで楽しんで、そうなったらいい、とも思っている。




Takapan
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