本

『日本のオンライン教育最前線』

ホンとの本

『日本のオンライン教育最前線』
石戸奈々子
明石書店
\1800+
2020.10.

 2020年春、新型コロナウイルス感染症が世界を混乱させた。病気という点でももちろんだが、経済をストップさせたのは死活問題となった。しかし他方、子どもたちへの影響も無視することはできない。教育がストップしたのだ。幸い、子どもたちへの感染は極力抑えられた。不思議と、感染症は子どもたちを襲うというタイプではないように見えた。子どもたちの命は概して守られた。しかし、教育を止めることは、やはりできないはずだった。
 教育行政の世界は、すぐに動いた。何ができるか。どうすればよいか。それがこの時代、インターネットを用いた教育、いわゆるオンライン教育と呼ばれるものであった。
 急遽でもあるが、初めてこうせざるをえない情況に追い詰められたために、ノウハウがあるものではなかった。それでも断行しなければならない。それが最善かどうかは分からないが、やるしかなかった。ネット環境にない子どもや家庭もあった。だが、そこに回線がなくとも貸与などの措置で、なんとかなる。
 親も在宅ワークであるとき、親のパソコンを使うことができない。タブレットの貸与なども同時に行われた。コンテンツが不足していたが、zoomでの仮想対面もあり、教師側も動けるだけ動いた。
 こういうことは、最初無経験でも、一度二度とやっていけば、もう無経験ではないことになるから、どんどん技術革新というか、教材制作や使用法なども、確実に良い方向に進むことが、希望を生む。
 しかし、こうしたことは、全国一律に同じようなふうにできるわけではない。地域の事情もあれば、行政システムや教育機関の華道領域などにもよるであろう。
 本書は、デジタル教育についてよく知る著者が、今回のコロナ禍の中での教育がどのように動いたかを、念入りなインタビューを重ねたことを基に、多角的にレポートをしていくものである。
 そもそも日本でデジタル教育は、どのように進んできていたのか。すべて2020年に始まったのではもちろんない。それはまだ試用段階に近いものであったが、時代は確実に、オンラインを用いて教育現場が動いていく方向に進んでいた。練習試合をいくらかしていたら、突然大会になってしまったようなものであった。
 こうした基本を読者に弁えさせた上で、海外の学校の情況のレポートが始まる。中国・アメリカ・オランダ・ドイツ・マレーシアから、在住の日本人から情報を受けた。各国の感染状況も関係するが、それぞれの国の考え方や、IT教育の進展状態により、対応は様々であった。
 続いて日本国内の学校であるが、行政単位で、広島県・熊本市・尼崎市・京都市・青森市と担当者が実情を説明してくれ、それぞれに苦労があり、工夫もあったのだとよく伝わってきた。
 民間の教育産業からも情況を訪ねている。九州一の進学塾・英進館の社長が、塾としての事情をよく語ってくれていた。リモート授業やコンテンツ提供を始めたのは、塾としての収入がなくなってはいけないからだ。しかし、対面授業ではないのにどうして授業料を取るのだ、という不満が出て来た苦労話があった。それには、コンテンツ量で理解してもらい、不満は激減したというような経緯も書いてあった。塾としても、すでにタブレットの導入などを始めていたので、デジタル教育を塾としてやっていくことについて、実のところ経験があったということになる。
 ほかにも同様の機関の体験もあったが、NHKが子どもたちのために休校措置に対してコンテンツを提供する企画を始めたことは、視聴者として私も気づいていた。再放送も含め、テレビ番組でまとまった、そして継続的な学習ができるような対策を考えたのである。それに、ネット環境は全員というわけにはいかないが、テレビであればほぼすべての家庭で、つながることができるというのが大きい。
 経済産業省の考えも本書の調査対象になっており、国がどう動き、何を目指していたかも知ることができる。本書は、地味なようだが、実に多岐にわたる取材を敢行し、通例得られないような情報を多々集めているように見える。これは、ネット教育の実践に関わる立場にいたら、手許に置いて損はないのではいなか。
 本書はそして、コロナ禍が過ぎたという未来をしっかりと見つめている。こうして無理やりであるかもしれないけれども、導入経験がなされたデジタル教育である。もし新型コロナウイルス感染症の危機感がなくなった時代がきたら、このまま突っ走ることができるのではないか。もちろん、今回問題であったこともよく検討する必要があるが、案外この禍は、デジタル教育にとって好い機会となったのかもしれない。
 ここのところに九州大学の内情も紹介されていて、さすが大学、すでに数年前からこうしたデジタル環境の配備が進んでいたこと、またそのために関係者も比較的落ち着いて対処していったということが分かった。だとすれば、今回の禍で国内の子どもたちや教育関係者全員が味わったこの経験も、何かしらプラスにもっていくことが、不可能であるはずがない。
 最後に、マンガ的イラストによって、今の段階で考えられる、理想的なデジタル教育のある教育現場や、生活の様子が描かれている。なんだか手塚治虫のマンガを見ているような気もしたが、それはまた、手塚治虫自身が時代の流れや行く末を、確かに根拠をもって想像していたということを表すものなのだろう。
 タイトルに「最前線」が付くと、時間が経ったときに言い訳しづらいような立場に追い込まれる可能性もあるが、だからコロナ禍ということに触れておけば、そこから学んで急激に変化していったデジタル教育のあり方ということは、後々にも示す価値のあることであるだろうと思う。
 なお、デジタル教育というと、すぐに、セキュリティの問題を持ち出して、慎重になるきらいがある。これまでの政治的議論もそうであった。だが、その慎重論が、日本のデジタル教育の進展を、世界基準からすると随分遅らせてしまった。ごくわずかな危険性を気にして全体を止めるよりは、大きな危険へとならないリテラシー教育と機能開発とを通じて、どんどんお気へ舟を漕ぎだしてみたほうが賢明であるだろう。こうした点について触れていたのも、本書の姿勢を表明していると言えよう。
 問題もあるだろう。が、時代はもうこうた教育方法へと舵を切ってしまった。コロナ禍が、コロナ福とでも言えるような、方向転換の機会として歴史に残るのであれば、それはそれで一つの意味があったのだというように見ることもできるだろう。こうしたデジタル教育の現場を知らない大人は、本書を通じてデジタル教育の現場と関係者の努力や労力を、知るということをした方がよいはずだ。時代は大きく変化している。




Takapan
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