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『新島襄自伝――手記・紀行文・日記――』

ホンとの本

『新島襄自伝――手記・紀行文・日記――』
同志社編
岩波文庫
\1071
2013.3.

 同志社を創設した新島襄は、幕末期、密航によりアメリカに渡り、そこでキリストに出会い、やがて文化人として日本に戻る。明治の世は、彼を迎えてくれた。いや、彼が必要だった。英米の文明を取り入れなければ、国は、欧米列強の前に屈し、植民地化されるのではないかと懸念されたのだ。ただ、新島は、おそらく欧米の文化をもたらそうとした。さらにいえば、それはキリストにより与えられる命だった。それで、英学校に始まり同志社の諸学校を築くにあたり、国家から、宗教色をなくすように圧力がかかることがあり、新島も苦悶した。各方面から資金を集めるためにも、実に苦労を続けた。そのことが、彼のからだを蝕んだのかもしれない。半世紀にも満たない、短い生涯であったが、それなりの覚悟とともに、するべきことをして天に凱旋したというものであったろう。
 岩波文庫に、新島襄の書いたもののうち、いくらかを集めて三部作として揃える企画が上がり、これが三冊目として完成することになった。ここに、自らの生涯について綴った半生記と、航海や旅行の日記、そして欧米を訪ねたその旅行記が手際よくまとめられている。文庫にするという都合上、選択や省略はやむを得ないが、そこはお膝元の同志社である、これ以上、新島の文献について所有しており、また熱意をもってそれを分析するところはない。しかも、スタッフは同志社に関係するメンバーで、長きに渡りこの共同作業に勤しんでいる。その資料選択については、十分な信頼を寄せてよいだろうと思う。
 正直言って、日誌の中には退屈な記述も多い。読者を想定した書かれたとは思われないものである故、たんに記録したというだけのものであるとも言える。しかし、それは確かに新島襄の眼差しである。その目が何を見ていたか、何をふと思ったのか、そんなことが漏れ伝わってくる。彼の人となりを知る上でも、こうした日常の中に埋没した記録は、少なからず役に立つはずである。
 2013年、NHKの大河ドラマに、新島襄が登場する。主人公はその妻八重となっているが、当然新島が加わってこないはずがない。京都にいた者として、クリスチャンとして、こうした話題が巷を走ることには、うれしさが伴うものだろう。だが、これまで八重について、殆ど書物らしい書物が出ていなかったものが、このドラマが始まるにつれ、雨後の筍のようにひしめき合うようになったとき、その大部分が、寄せ集めの資料であったり、旅行案内のようなものであったり、挙げ句は役者の写真集程度のものでしかないものであったりするというのは、寂しい限りである。長年にわたり、新島襄と八重について研究を重ね丁寧に資料を検討してきた、同志社の研究メンバーに、大いに敬意を表したいところだ。
 退屈な記述があるからと言って、面白くないとは限らない。そのの真の姿は、実のところ、日常的ななにげない場面での一言や行動に現れるものである。新島の、欧米人に対する眼差しは鋭い。その中には、キリストに対して不誠実な人々がいくらもいる。学ぶ立場として遠慮することなく、新島は、聖書を基準にして、そこから人を見る。キリストを信じているというよりも、日本における仏教のように、たんに形だけそれに従っているかのように見せかけておき、その実信仰心などなく、自堕落に暮らしている者や、神を信じていないような者へ、新島は厳しくものをいう。実際に彼らに問いを投げかけたシーンも描かれている。
 この文庫では、そうした様々な等身大の新島襄を紹介する形になっているが、これが時系列に並んでいるというのは、とても親切だ。その精神がどう展開していくのか、時間の中に位置づけることによって、見えてくるという場合があるだろうからだ。最後には、遺言で終わるが、実に短く、そして同志社への懸念があふれているものである。また、信仰的な印象、今ならツィッターやブログに上らせるであろうような、キリスト教についての鋭い発想や願いなどが集められた項もあった。裸の信仰がそこに見えたような気がする。  内村鑑三をはじめ、様々な要人との関係やつながりもうかがえる文書がいくつもあった。そもそもこうした特権的な教育を受けてきたメンバーというのは、どこか限られているから、必然的に出会うということもあるのだろう。
 彼らは、日本のために力を尽くし、思いを尽くした。そして人生をそれに懸け、使い切った。なんとか日本を、という思いは、内村ばかりでなく、新島にも溢れていた。それが、こうした文書により、鮮明に現れる。当時の教養ある人々は、結局、国のため、ということを大きな動機にしていたのではないだろうか。愛国心を試そうとするグループが現代あって、愛国心というものを絵踏にして、軍備拡大や統一社会を主張し、それに異を唱えようとする者を非国民扱いしようと躍起になっている。だが彼らからすれば、私学の必要性を説き、キリストの教えによらねば真の文明国になれまいと解く新島などは、間違いなく非国民のカテゴリーに入るだろう。天皇や神社に与しない者は、国を愛する者ではない、と信じこんでいるのだ。だが、新島の例は多分にそうではなかった。彼は国を愛するが故に、命を捨てて新しい教育とその底辺を流れているべき、キリスト教精神を必要だと考え、主張したのだ。
 自己満足を求めるような国粋主義を最善と考える人々こそ、こうした新島襄のような明治期の愛国者について、もっと学んだらよいと思う。実はこの明治期こそ、日本の頑なな性格が定着していった時代であった。もっと言えば、これが軍国主義になっていくにつれ、古来日本がそうであったかのような幻想が押しつけられ、まるで前世の記憶が、その後見たものから信じこまれていくかのように、日本の伝統が急激に中央集権国家によって作られていくのだ。
 なお、広く知られていることだが、新島襄というのは通称のようなものであって、本名とは言えない。密出国のときの船長から、Joeと呼ばれたことから、その名を用いていくことになっていった。八重とは、日本で最初の教会結婚式を挙げたことでも知られる。「八重の桜」で新島を演じた役者も、役者名を「ジョー」というのは、粋な計らいであるかもしれない。




Takapan
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