本

『日本の難点』

ホンとの本

『日本の難点』
宮台真司
幻冬舎新書122
\840
2009.4

 かなり売れた本であるそうだ。
 頭のよい人であることは、少し読めば分かる。そして、何が書いてあるのかは、少し読むと分からなくなった。
 文藝春秋の「日本の論点」を、多数の意見の寄せ集めではなく、一人でやってみることには意味があるだろうというところから、本のタイトルが決まったそうだ。社会学がメインとはいえ、様々な思想や政情に通じ、その内幕も背後にある思想も、すべてお見通し、ということらしい。
 読者が分かるものなら分かってみろ、という挑戦的な姿勢も、おそらくこの人の魅力なのだろう。そういう姿勢で通ってきたし、それをウリにしているのであるのだろうから、そのこと自体に抵抗しても意味がないだろう。とにかく、話題や論点が猫の目のように変わる。その都度根拠としていることがあるのかもしれないが、殆ど根拠も示さないし、ある特定の思想や概念「のように」とだけ触れ、その説明をするのも馬鹿らしいという姿勢がありありと窺える。つまり、私のように無知な人間には、この本を読む資格がないのである。
 何故そのように言えるのか、を論証しようという態度であるようにも見えない。ただ著者が口にするからそれは真実なのであり、その考えをほかの有名な思想家や事件が傍証しているのである、というようなものの言い方をしている印象を受ける。
 これだけころころと様々なことを言い並べてくれば、中には的を射た意見も当然あるだろう。だが、そこがそういう文章を書く者の一般的な魂胆である。いくらかの真実を混ぜておけば、その真実性を根拠にして、読者のほうで勝手に、この本は真実であるという概念が形づくられてくる。そうすれば、根拠不明でいわばとてつもない大嘘が中に混じっていたとしても、それもまた真実であるだろうと勝手に読者が理解していく。古来人心を操る政治演説は、えてしてそのような方法で、自分の考えに賛同をとることに成功してきたのだ。
 この人に言わせれば、宗教の何たるかは自明のことで、構造的なトリックを見抜いたので、世界中の宗教の本質やからくりを知っているらしい。旧約聖書も、創世譚と原罪譚という二つの柱からできているそうだ。知らなかった。だが、当の信仰者はそんなふうには思わないだろうから、著者に言わせれば、信仰者には何も見えておらず、宗教の本質も知らずに蒙昧の中に囚われているということになるのだろう。
 ただ、その旧約聖書の中に、著者のような人間が描かれていることを、信仰者たちは知っている。おそらく著者はそのことにはまだ気づいていないだろうと思う。それが、著者の難点ではないだろうか。




Takapan
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