本

『日本のいちばん長い日』

ホンとの本

『日本のいちばん長い日』
半藤一利
文藝春秋・kindle
\594+
1995.6.

 映画にもなった話題の本で、2015年となってはずいぶん以前の本であるとも言えるものであろうが、戦後70年を迎えたとき、ふとこれは目を通しておきたいと思うようになった。文庫では、戦後50年のときに出ていることになるが、その時でさえ、ずいぶんと隔世の感があったのではないかと思われる。しかし、改めてこうした記録性の高い研究については、敬意をもって対処すべきなのだということを考えさせられる。
 確かに、脚色もあるかもしれない。だが、演技的な脚色を著者は求めていない。あくまでも現場の様子を分かりやすく伝えるためのセリフだと言ってよいだろう。文学的というよりも、やはり史料的な力がこめられていると考えたい。短い章毎に、注釈を入れ、ここはこう捉えられている説もある、とか、異説があるがこちらを採った、とかいう解説が入れられているわけで、読者は歴史的な信憑性についても考える場を与えられていることになる。
 登場人物の思惑については、必要以上に膨らませない。まるで記録書を見ているような感覚もある。だからこそ、一定の信頼をもって受け止められたのであろうと思う。  文藝春秋に入社した著者は、松本清張や司馬遼太郎などの編集を担当した経緯をもつ。なるほど、こうした執筆者の仕事と直に向き合った方であるからこそ、本書があるのだと納得ができる。
 えてして、こうした戦争の実態を伝える文書は、どちらかの思想前提に立ち、それを正当化するために綴り、史料が取捨選択されるという傾向がある。都合の悪い史料はわざわざ持ち出さない。また、セリフの端々にも、自分の信じる思想に加担するような演出を自然と含めていく。戦争を肯定あるいは弁明しようとするならば、そのような筋書きや表現となっていくし、事実の取り上げ方にもそれが出る。戦争を否定あるいは批判しようとするならば、それもまた同様である。
 果たして本書はどうなのか。決して、軍人が素晴らしいと称えるようなものではない。他方、それをけなすような筆致もないと言える。中立というのは本質的にはありえないと見るべきだが、実に淡々と状況を調べて教えてくれているという具合である。ただ、それはどこか生々しいのも確かである。殺害状況についても、遠慮会釈なく描写される。ただ、当然そういうことがあったはずなのに、通常の描き方では触れないだろうと思われるような部分も示してくれる。たとえば斬り殺された森師団長の件なども、どのように遺体が置かれていたのか、なにげない描写でも、そういうふうなのか、と改めて気づかされるような描き方がしてあった
 これが記録というものなのかもしれない。
 もちろん、これはどこか美化しているという見方もできる。すべての事実をスムーズにつなぎ合わせ、因果関係などが違和感なく流れていくように描かれていくわけで、その点ではこれはたしかに文学である。歴史書と言うことは憚られるであろう。それはそれでよい。歴史上の事実を余すところなく描写したというよりも、これもまた、文学であると見たほうが適切である。思想的にも、反論があるだろう。だが天皇の描き方など、私はうまいものだと驚いた。
 これを以て、政治的にどうだというふうに責める必要はない。これを素材として、では実際はどうであったか、そこにどんな意味があるのか、そして私たちは今の時代にどうすればよいのか、そんなことを考える契機とすればよいのであって、本書事態を持ち上げすぎたり、非難したりする必要はない。しかし、本当にひとつのよい素材が提供されていたのは間違いない。執筆後20年経ち、その後の研究史料によりいろいろ評価や内容が変わった可能性があるが、そのようなものは追補したり注釈を入れたりして、続いて後世に提示されていくだけの価値があるものだと言ってよいのではないか。
 ただ、文学として惹き込ませるものがあるという点でも、なかなかのものであることは間違いない。




Takapan
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