本

『もういちど読む 山川日本近代史』

ホンとの本

『もういちど読む 山川日本近代史』
鳥海靖
山川出版社
\1575
2013.4.

 このシリーズ、売れている。日本史や世界史となると、高校の教科書にあったものだから、つい、高校生が読んでいるものと同じものだと思いがちだが、実際そうではない。そこへいくと、この「日本近代史」というタイトル、高校生の教科書にはそもそも存在しない。だから、明らかに作られたものだと分かる。
 日本史にしても、古代から学んでいくと、現代の学習が薄くなることがしばしばある。また、歴史の受験勉強というと、江戸時代、あるいはせいぜい幕末や明治初期などという偏見をもっている場合がある。ところが、実情として、大学受験で、この近現代史の占めるウェイトはかなり重い。この近現代を捉えていなければ、実社会で判断できないことが多すぎるのだ。そこへいくと、古来の伝統というものは、むしろ文化理解なのであって、今の経済や政治を動かす原動力のどこかにあったとしても、ともすれば霞んでいるとも見られる。日本と交渉する諸外国が、平安貴族についていくら知っていても、あまり役立つまいということだ。
 明治維新。ここから近代日本が始まり、レールに乗った。その路線は確かに現代社会を構築している。せめて、開国あたりから述べれば、一連の動きが把握できるだろう。そういう意図のもとに、ここに近現代史という、興味深い学びの一冊ができた。これだけで薄い日本史の教科書くらいあるから、それだけ内容が濃く充実しているということになる。
 また、著者の思い入れのあることに比重をかけ、やたら意見を言い、あるいはそれを論証するといった手続きがなくて済むのが教科書形式であるから、とにもかくにも一定の事実が淡々と記述されていく。これは知識や事態の確認のためには実に有難い。著者の歴史観がそこに現れないはずはないし、意見とも言える部分が皆無だとは言えないのだが、それでも、この一連の関係と事実を、しかも箇条書きや項目だけを挙げる用語としてではなく、原因と結果や出来事の関連を踏まえてヒストリー形式で綴ってあるというのは、理解するにもひじょうに都合がよい。つまりは、ありがたい書き方だと言ってよい。
 読者は、ここから始めて、ある事柄についての諸説や資料にまた進めばよいのである。しかし、事実を知らないことには、それらを調べることもできないわけである。世間にこの類の山川の本が売れているというのは、うなずけるような気がする。
 面白みはないかもしれない。そうだそうだ、と同調するような読み方はできないかもしれない。しかし、基礎となる点をどう押さえるか、それが教科書の強みなのである。
 歴史は、受験科目として見ると、つまらないという人もいよう。他方、やたらある時代に詳しいマニアックな子がいることも確かだ。ただ、大人として社会生活を送る中で、現代社会と世界のあり方を知らないでは済まされない場面は多々あるわけだし、自分のビジネスのためにも知らないと仕事ができないことも当然いくらもあることになる。そんなとき、これは助かる。ちょっとした歴史を知らないことで、事態を掴めず悩むこともあるし、それが分かることでなるほどと膝を打つこともあるだろう。
 この本は、開国から太平洋戦争の終結までである。様々な視点を集め、記しているために、とにかく何かのきっかけをつかむために役立つ。ある事件の背景に何があったのか、そういうことも読みとれる。もちろん詳細についてはまた調べればよい。だが、当然知っておくべきこと、押さえておくべきことを見逃すという危険から免れる。そういう意味で、教科書的な資料はありがたい。一定の資料に裏打ちされた事が並んでいる。だからまた、こうした本を書くのは難しく、責任が伴う。大変だろうと思う。
 今につながる時代背景として、このくらいの歴史が有効だろう。その意味では、過去であって今とは関係のないかのような「歴史」という言葉の響きとは異なる、自分のアイデンティティや現代世界で当然の常識と見なされている事柄が実はこうした新しい一時的な考えに過ぎないということにも気づかせてくれる、貴重な時代証言でもあると言えるだろう。ただ、これは大きな政治の世界の話が殆どであり、文化史のレベルでは不十分である。よく見ると触れられているけれども、なかなか目立つふうには書かれていない。そこは、この本の目的からして致し方ないと言えるかもしれない。民間レベルの視点での、こうした時代の捉え方もまた、どこかで企画して戴けるとありがたい。




Takapan
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