本

『日本の看護のあゆみ』

ホンとの本

『日本の看護のあゆみ』
日本看護歴史学会編
日本看護協会出版会
\3800+
2014.4.

 本当に良い本である。
 第1版は2008年に出ており、この第2版は改題版として出ていることになる。すばらしい資料集である。また、資料集でありながら、たいへん訴える力をもっている。
 古い資料も多いために、白黒写真ばかりであるが、多量の写真が、また語るより多くのことをもたらしてくれる。写真を追いつつ、その横にある丁寧な記録を見ていくと、たいへん有益である。
 タイトルに「あゆみ」と書いてある。しかし、「まえがき」にあるように、時系列に述べることはしていない。いわばテーマ毎に一定の視点で「あゆみ」がまとめられていくのである。これが実に読みやすい。ある問題・課題が、どのように起こり、対処されていったのかを手際よく知ることができる。そこには、感情的な主張のようなものがなく、実に歴史的に、的確に書かれている。かなり昔の記事であるにも拘わらず、当時の看護婦が何人派遣された、ということまできちんと報告されていて驚く。印象や思い込みで並べられているのではなく、膨大な資料を、利用しやすいようにまとめたということであろうか。
 関心を持ちつつ、図書館から借りた期間で全部を読み尽くすことは難しいため、多くは眺めることで終わることを申し訳なく思うが、非常に心に留まった記事として、災害派遣のことに触れた章があった。大きな事件についてではあるが、事故や災害に際して派遣された看護婦たちのしたこと、現場での様子が必要に応じて簡潔に報告されている。これを読み、私は涙を禁じ得なかった。ここで、傷病者を助ける看護というものは、もちろんある。大切な働きである。しかし、起こってしまった事故や災害において、看護婦たちが相手をするのは、遺体である。しかも、それは病床で今し方息を引き取ったという人ではない。遺体として成立していないほどの「もの」のようなものも多い。それを、まるで一人の人のように手篤く扱う。遺族のためでもあろうが、同じ時代を生きたその「ひと」のために、心を尽くすのである。しかし、それがどれほど醜く、また異臭の中で手を添えなければならないか、私たちの想像を超えている。それを職務としてやり遂げた看護の方々のことが、淡々と語られている。遺体をどのように扱うか、その紹介も一部記されている。そして、実際、PTSDに悩まされる人も多かったとさりげなく書かれている程度ではあるが、並大抵のことではないことを、読者は想像しなければならない。
 私は読んでいて号泣した。
 自ら傷つき、立ち直れなくなるような場において、職務を果たす。もちろん、軍人という立場もそうなのではあろうが、その軍人の現場にさえ、看護師たちは向かう。そして、人を救おうとし、救えなかった人のためにも尽力する。
 ここでは「日本の」という限定付きではあるが、さしあたりそれで十分であろう。それは単なる理想などではない。実際に動いている、身近な現実なのである。果たして私たちは、どれほどの理解をし、感謝をしていることだろうか。
 我が家にも、そのうちの一人がいるので、日々の危険について、どんなふうに考えているかも知っている。いつ自分が感染するか、また感染を拡げてしまうか、分からないのだ。このリスクは、一般にはさほど意識されていない。私たちは、自分が風邪をひいても、それをひとに移さないためにマスクをすべきだ、という基本的な理解さえ、あまりしていないのである。
 表紙には、「歴史をつくるあなたへ」というサブタイトルがある。「あなた」は、看護師だけのつもりで書かれてあるように見えるかもしれない。私はそうではないと思う。  それにしても、本当に良い本である。




Takapan
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