本

『ジーキル博士とハイド氏』

ホンとの本

『ジーキル博士とハイド氏』
スティーヴンソン
田中西二郎訳
新潮文庫
\300
1967.2

 1886年に、わずか数日で書き上げられた小説、そのタイトルと意味は、殆ど故事成語のように知れ渡っている。だが、私はその小説をこれまで読んだことがなかった。さして興味がなかったからという言い訳も成り立つが、案外名作というのは、えてしてそのようなものである。
 たとえば『宝島』ほどには、この本は評価されることはないだろう。イギリスのどこかけだるい、あるいは悪趣味な時代を映し出すような物語であり、痛快なところは見られない。おどろおどろしさが先走って紹介されるようなところもある。ジーキル博士が二重人格であったという点は、むしろ現実にこうした人がいるということで、医療の領域で事例として扱われることが多いのかもしれない。
 しかし、そこには、人間の良心とか罪とかいった問題を鋭くえぐるような視点がある。まるで、表に出せない悪徳の部分が隠しきれずに現れてくるような、読者も思わず自分の胸を押さえてしまいそうな人間の心の奥底を暴露するかのようである。
 事件は前半で片が付き、後半はジーキル博士の告白であるいわば遺書が滔々と続く。そう言えば夏目漱石の『こゝろ』でも、先生の遺書が延々と続いて、起きたことの背景を読者に紹介するようなところがあった。似たような構成である。
 基本的に現代の読者は、この話のトリックあるいは背景を知っているわけで、だと思うからまた私もネタバレを平気で犯していることになるのだが、最初から、「なるほど、そういうわけか」などと納得しながら読んでいくことになる。ただ、背格好がまるで違うという点については、この問題はどう解決するのだろう、と不思議に思い続けるのだった。ジーキル博士とハイド氏とは、背の高さがまるで違うのだという。そのからくりは、最後のジーキル博士の遺言の中で明らかになる。
 そう。ファンには常識だったのだろうが、私は知らなかった。名探偵コナンは、この小説からできたようなものだったんだ。




Takapan
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