本

『イエスの涙』

ホンとの本

『イエスの涙』
ピーター・シャビエル
アートヴィレッジ
\1900+
2008.11.

 発売当時、話題になった。読んでみたいと思っていたが、そこそこ値が張ることもあり、躊躇しているうちに、機会を逸した。
 最近読むことができた。面白かった。
 小説である。架空の物語であるが、教皇庁が舞台となり、また日本人の話である。「十字架嫌悪シンドローム」という症候群が多発したことで、ローマ教皇庁が動き出す。そのとき、日本の神父が用いられ、またその若い時の恋人(になりかけていた)である修道女が決定的な役割を果たすというストーリーである。
 小説として読みやすく、流れもスムーズである。キリスト教内部にやたら詳しくなければ十分は分かりづらいような気もするが、そうでもないようにも見えてくる。日本人が普通に抱いている程度のキリスト教の知識があれば、さほど困難を覚えない。むしろ、そのロマンスやサスペンスの要素が勝り、一般の読者も楽しめる内容となっていると言える。
 しかし、敢えてキリスト教の教義の変更を訴えるかのようなストーリーにより、十字架なくとも地上に楽園を作ることこそイエスの真意だというように持っていくその内容は、これまで歴史上生じていた異端思想であると言ってもよく、それを現代によみがえらせようとするのは、単なる文学者の意図だけであろうか、という疑念も脇に抱えつつ読むこととなった。
 著者のピーター・シャビエルとは誰か。その後マリヤを題材にした小説をまた発表しているが、ほかにさほど作品は見当たらない。また、ドイツ在住とはあるが、本書の内容は日本が完全に舞台となっており、情景描写は日本の京都についてやたら詳しいが、バチカンの情景については殆ど体験的知識を感じさせない。翻訳者もないところをみると、どうやら普通の日本人であるようだ。イザヤ・ベンダサンの例もあり、何も外国人を装うことが悪いとは言わないが、何かしら意図が感じられるものである。アメリカで、カトリックとプロテスタントの両方の神学を学んだとあるが、これは通常考えにくい。カトリックのほうは、日本で学んだらしいことは本人の言から分かる。幼児洗礼を受けたというのも、そういうことだろうか。だが、その先は分からない。出版されて長いこと経つが、著者についてはその後も情報は何も増えていない。本人のプログなるものも、ここ数年更新されていない。
 鍵は、その思想内容である。こうなると、本書がミステリーである以上に、著者の正体というものがミステリーになるのだが、あいにく私もにわかに調べてみただけなので、有意義な情報を増やすことはできないものと思われる。
 ただ、本書をたんに販売するルートとなるともちろん大手も参入しているのであるが、ある派の団体が、特別にやたらこの本を推賞していることに気がついた。
 それは、統一協会である。いや、現在名前を「世界平和統一家庭連合」に替えて、かつてのダークなイメージを払拭しようとしているが、内実は同じであるにしても、表面を転換して活動を続けている団体である。聖書をも利用し、真正のキリスト教であるかのような振る舞いを続けてきたものの、政治的な目的から金銭的な行為は社会問題となることもあった。創始者の死により、何かしら変化を表明したというところなのかもしれない。その関係団体の中で、本書はさかんに宣伝されているのだ。
 このつながりは、本書の中の思想とも重なってくる。十字架は失敗だったというその持論が、キリスト教に免疫のない日本人の読者に、自然に浸透していくことを目標としているのだという仮説は、すんなりと理解できる。
 真っ向から反対論を唱えると、警戒もされ、抵抗もされる。しかし、大部分を認めたようにした上で、ほんの少しずつ「ずらし」を行うと、ひとは動かされやすい。神学を踏まえたようでありながら、持論を展開するばかりの本書の内容は、危険なものを含んでいる。ところが、キリスト教世界から、この本に対して、適切な批評がなされていないように見えるが、どうだろうか。
 日本の牧師たちは、えてして、このようなキリスト教に関する話題作に関して発言をしない。教会がその渦に巻き込まれるのを避けるためであろうか。妙なことを発言して、責任を問われることがまずいのだろうか。『最後の晩餐の真実』についてもそうだが、日本の神学者や聖書研究者の意見というのを、聞いてみたいものだ。




Takapan
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