本

『イエスの譬話』

ホンとの本

『イエスの譬話』
光野儀
キリスト新聞社
\500
1967.6.

 古書店の店頭で見つけたので価格など無視して戴いてよいのだが、複数置いてあったところを見ると、当時わりと読まれたか、あるいは教会でテキストとして用いたか、何か背景があるのかもしれない。ネットでもちらほら見受けられるようだ。こうした時代的背景は、よほど有名なものでなければなかなか分からない。
 無教会主義の関係の方だという話である。軍医として出征し、ソ連に抑留され家族を喪う経験をされたということが略歴から分かる。その後病院で勤務され、それとは別に聖書研究会を続けている。53歳で病没とあるのでまだこれからというところであったと思われるが、本書の原稿を届けて数日後のことだったと記されている。無教会主義の雑誌に連載されていたこの内容は、自分の信仰として綴っていると自ら書いているが、それはいわゆる神学的研究所の類でなく、感想文のような形だとも漏らしている。
 それはそうかもしれない。だが、他の人が見て大いに学ぶところがある。確かに学的研究の方法をとっているわけでなく、解釈の議論が交わされているわけではないが、一信仰者として聖書の言葉を味わうということ、聖書の言葉を生きた言葉として受けるということが、よく現れていると分かる。つまり著者の生き方をここに垣間見るような思いがするということだ。
 もちろん、何も身の上話をしているわけではない。あくまでも聖書研究の成果なのであるから、聖書を読み、味わい、必要に応じて学説を参照し、あまりに間違ったことや思い込みを読者に晒すようなことを避けつつ、聖書が言おうとしていることを明らかにしようとしているように見える。
 さて、この半世紀前の書をいま私が見てどう思ったか、ということだが、確かにその後の学問的成果というものは新たな展開があるのだろうと思うが、同じ聖書の言葉なのだから、何がどうだとか古いとか言うことは相応しくないだろう。好感がもてるのは、自分がどのように譬話を読み、受け止めたか、そうした立場のようなものがきちんと初めに説明されていることだ。ここでの概観が、後の説明について読者を戸惑わせることなく、スムーズに流すために助けになっていることは言うまでもない。また、聖書そのものに実によく的を絞り読み、学ぶ立場の方々のなすことであるから、聖書についてほんとうによく調べられ、それを踏まえて説明がなされている。これはやはり有難い。
 また、これは私の好みの読み方なのかもしれないが、読む者がこの譬えやその解釈を、自分から突き放した対象として眺めたり研究したりするというのではなく、自分だったらどうだろう、自分のためにどう関わる言葉なのだろう、というように、自分を巻き込んだ形で考えようとしているところを喜ばしく感じた。そうでなければ、譬話であろうが物語であろうが、聖書を読む甲斐がないとも言えると思うのである。
 日常生活の中でそれが心理として浮かび上がってくる、そうした聖書の読み方を志していることが序章からよく伝わってきたし、事実そのように叙述が始まり続いていくので、改めて聖書からどんなふうに自分が問われてくるかということとその大切さを教えられたように思う。話の中に自分自身を投入して読むべきだということが初めのところから書かれているが、その姿勢がずっと続いていて、そこさえ承知していれば、本書は私たちの血や肉となるものであろう。  古書店に立ち寄ると、時にこうした良い出会いに導かれる。




Takapan
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