本

『イエスから初期キリスト教へ』

ホンとの本

『イエスから初期キリスト教へ』
日本新約学会編
リトン
\5000+
2019.9.

 2019年9月発行。サブタイトルは「新約思想とその展開」であるが、「青野太潮先生献呈論文集」と掲げてあり、刊行の目的ははっきりしている。日本新約学会の元会長として労をとられた神学者への敬意を、学術論文という形で集めて形にしたものだということである。特にドイツあたりでは、こうした慣習があるらしい。そうしたことに詳しいご本人や仲間たちの粋な計らいであるのではないだろうか。
 個人的にもお世話になっているので、ここでも青野太潮先生と呼ばせて戴く。青野先生は2009年から2016年まで、日本新約学会の会長を務め、その間本書の献呈の辞によれば、G・タイセン氏を招くために尽力したことが挙げられている。その来日記念講演集『イエスとパウロ キリスト教の土台と建築家』は、私も実は見落としており、その後偶然に古書店で見つけ驚きつつ読むこととなったのだが、学的内容ももちろんですが心のこもった書となっていることをとても快く感じた。
 その語学の豊かな賜物をフルに用い、パウロや初期キリスト教の展開を専門に、聖書に対するもしかすると誰よりも強い信頼を以て、他人の見方に依拠せず頑固なまでに単独者として聖書に向き合い、自分の道を迷い無く進むその歩みが、同様に新約聖書に向き合おうとする人々の理解を助ける根拠として貢献する業績をもたらしたことは確かである。それはまさに、パウロの生き方を垣間見せるかのようで、かつての学生は怯えたかもしれず、また論敵に対しても厳しい口調で書き記すわけであるが、直にお話しすると実に温和で、腰が低いというと失礼な言い方になるかもしれないが、声をかけられたこちらが、滅相もないと一つひとつ断らなければならないほどに気遣いに満ちた方です。
 青野先生は、西南学院大学赴任と共に、福岡の平尾バプテスト教会の協力牧師としての務めを果たし、その後大学は定年退職となったが、協力牧師としてのはたらきは40年余り続き、平尾と大名クロスガーデンとで時に説教し、また各地から呼ばれて語るという多忙な生活を送っている。聖書塾を毎年夏に主催するほか、月に一度、聖書講座を大名クロスガーデンにて開催し、そのようにしてまとめられていくひとつの形としてであろうか、コリント書についての新たなる著作へといま向かっているところであるという。教会の様々な問題を具体的に扱うとともに、愛と希望を諦めないパウロの人格すべてが現れるような書が、青野節で説き明かされることを、多くの方が期待していることではないだろうか。
 本書の論文は、日本の新約聖書研究における優れたメンバーが、この青野先生の業績に応えるべく、寄稿したものである。それだけに、青野先生に敬意を払うのはもちろんであるが、学術的に挑戦する意気込みも当然ある故、半端なく高度で気鋭に満ちた論文集となっているように見える。私などには手の届かない議論も多々あったが、時に、なんとか理解できた気になれたものに出会えたときには妙にうれしく思えた。
 ひとつだけ挙げると、「パウロにおける聞くことと見ること」という原口尚章氏の論文はテーマが分かりやすく、また私自身がかつて少し調べたことがあることに関わる意味で、これからも考えていくためにも良い刺激になった。聴覚と視覚という窓口が融合する形でのパウロの宣教活動を見つめていくひとつの結論であるが、ろう者における手話という言語の捉え方、視覚障害者の点字や空間把握の実態などについて、実際にこうした方々に教えられつつ、私のような聴者で晴眼者である者が単純に思い込んでいるのとは違うような感覚のあり方について驚かされたため、たんに障害者は気の毒だとか差別されてはいけないとかいうような捉え方だけでなく、その独自の感覚や能力あるいは文化という次元において理解を深めたいと考えたのであった。神は、聞こえない者を聞こえるようにし、見えない者を見えるようにすると言い、またイエスの手によってそれが実現されたことを聖書は告げている。そこには、何か思いもよらない深い意味が隠されているように、私には思われてならない。
 多くの人の心のこもった本書であるが、その発行のためには寄付などの協力が背後にあってこそのものだろうと思う。私のような者が手にすることができた恵みを覚え、感謝しつつ、また再読の機会を得たいと願っている。いくらかでも理解できるほどに自らに知恵と知識が増すとよいのであるが。




Takapan
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