本

『イエスの働きと言葉』

ホンとの本

『イエスの働きと言葉』
A.M.ハンター
吉田信夫訳
新教出版社
\2200+
1989.12.

 発売当時のことを考えると、凝縮してはいるが小さくてそこそこ厚い本がこの値段では、高価なものと考えられたことだろう。難しい神学というわけでもなく、また大衆的で誰でも気軽に読めるというわけでもなく、そこそこ聖書や基本的な神学への理解があり、しかし学究的に高度な経験を要することのない人でも役立つ福音書の読み方の教授の本であるといえる。
 神学の学習者に、福音書におけるイエスの宣教について教えようとして意図した原稿が、ここまでの本になったという。邦訳発行からさらに30年以上遡ったのが最初の発行であるらしい。当時の研究の常識や新発見といった様子が本書に全体的に反映されている点は否めない。神学も進展しているから、もはや過去のものと考えられる見方もないわけではない。しかし、どうかすると非常にリベラルに、聖書の皮を剥ぐように調べに調べた研究の結果として、現代ではずいぶんと違う、進歩的とも言える解釈がなされていることを思うと、本書の著者は至って伝統的な捉え方をしているわけである。保守的な陣営の一人だとも言われるが、本書でもいくつかの解釈を比較し、それぞれの良い処を守ろうとしている様子が窺える。学習者に対してという条件を無視することはできないが、確かに読みやすく、ある意味で健全な聖書の読み方を提供している点では間違いはないだろう。
 かなり込み入った研究題材にも触れる。その意味で、たとえば大学生あたりが学ぶのによい刺激となる。それでいて、難しすぎない。また、その聖書解釈は確かに穏健であり、信仰する心を阻害するようなこともない。概ね、信仰者にとり助けとなるような理解を示す。もちろん、聖書をやみくもにその字面通りに強調するようなことはしない。そこは学問である。一定の支持を受けた説を前提とする。いくつかの資料から福音書ができていることや、編集の手が加わっていることなどを無視して空想に走るようなことはしない。だから、研究の世界で分かっていることを踏まえて、しかも教会で信仰生活を全うし、あるいはそこから誰かに聖書の救いを伝道するという方向性の中で、適切な学びができるように思われるというのである。
 本書はまず資料性の問題を明らかにし、聖書世界の地理や歴史などについての理解を施す。それから、福音書の記事に従って、イエスの生涯を辿るという構成になっている。  ただの物語として四福音書をごちゃ混ぜにしてつなぐというものもあるが、それはむしろ芸術家に譲るべきであろう。ここでは、福音書間に一致が見られない場合には、どれかひとつの福音書をピックアップし、それに従って叙述する。公平であるかどうかを問う前に、この仕方が確かに読者を混乱させないであろうと思われる。素直に福音書の言いたいこと、またその背後にあるイエスの歩みについて、考えさせてくれるのだ。その意味でも、これはよい導きとなっている。
 イエスの「教え」の種類や方向性に従って章を分けているので、必ずしも福音書に置かれた順序に従うということではない。いや、四福音書にあるエピソードの順番自体、様々であるから、どだい福音書の順番という考え方自体が無理なものである。この編集の仕方に著者の工夫があり、読者に対する訴えの説得力というものもあるように思われる。
 そして最後には受難と復活を描き、あとは私たち読者の受けとめ方に委ねていく。特にこの十字架と復活の件は、信仰に与える影響が大きいものであるが、著者はできるだけそれを信仰に向かうことができるように配慮する。あるいは著者自身の信仰がそこに現れているとも言える。しかも、それを押しつける形をとらず、あくまでも学的な叙述の中で行う。
 ともすれば近年、イエスの出来事に対する否定に否定を重ねるような、自由主義神学からさらに突き進んだ聖書理解に基づく書物が増えていく中、このような落ち着いた本を見るとほっとする。安心して学生にも勧められる、そうした本が案外少ないのである。かたや信仰だけの世界にどっぷりと浸かり、聖書研究を無視するようなものもあるから、両極端な道が巷に溢れている故に、神学を適切に学びたいであろう若者にまずひとつの王道を経験してもらうということは実は貴重なのではないかと思うのだ。
 こうした著者の願いや祈りが、若い世代に届くように、もっと販売されてほしいし、読まれてほしいと願っている。




Takapan
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