本

『イエスの降誕物語 クリスマス説教集』

ホンとの本

『イエスの降誕物語 クリスマス説教集』
及川信
教文館
\2100+
2016.9.

 日本基督教団の牧師である。その説教集が何冊か出版されている。私は好きだ。
 神の言葉を自分における出来事として聴く。それを語る。また、安易にキリスト教を弁護しない。むしろ、キリスト教世界や教会の中に、とんでもない罠が潜んでいることを感じており、それを告げるのに憚らない。
 私がもし牧師だったら、きっとこの人のように語るだろう。考えるだろう。だから好きだ。非常に共感できる、ということだ。
 しかも説教集を出すときに、テーマを掲げ、読者がなじみやすいように配慮している。「神の国」という言葉の入るルカ伝だけに絞った本もあった。今回は、クリスマスに関するものだけである。数年間にわたる、クリスマス時期の礼拝説教が集められている。クリスマスに関する福音書の記事は、多くない。意地悪な人は(と言わせてもらうが)、マタイ伝やルカ伝のそれは、後から付け加えられたつくりごとだ、などと言う。しかし、どれほど多くのキリスト者が、そこから神と出会う機会を与えられただろう。それは、歴史的伝記作者にはなしえない業である。つまり、神の言葉の力が遺憾なく発揮される場である。クリスマスの記事から、私たちの魂は救いを与えられる。知恵を授けられる。信仰が沸き起こる。
 著者は、普通よくするように、一つひとつの説教に、その聖書箇所を見せるという手法を本書ではとらない。まとまったクリスマス記事を、ガンと掲げておいて、それぞれの説教においては、該当箇所を章節で示しておくのだ。読者は、クリスマスの記事全般を意識しながら、しかもその説教ではそのうちのひとつの箇所からの神の言葉が説き明かされている、という形で語る。クリスマス説教集ならではの、よい知恵であると思う。
 大きく捉えれば、世間で捉えている「クリスマス」への痛烈な批判である。だが、世間をそうやって見下すようなことは、どこの教会でもやっている。著者は、その程度のことをよしとはしない。むしろ、その嘆いている教会自身がどうなのか、と問い直す。しかも、こうした批判的な眼差しを、憤りや恨みのようなもので知らせるのではない。しっとりと、しみじみと、しかし心ある者だけは、それを辛辣に捉えることができるように、不思議な仕方で綴っている。もしかすると、語るときには、口調が変わるのかもしれない。あるいは、逆に呟くように、自分に対して怒るかのようにして、批判の言葉を零しているのかもしれない。実際の「声」の説教を聴いたことがないので、それは私にはいま分からないから、ただの想像だとしてお聞き願いたい。  「まえがき」に、シメオンやアンナに関しては、一般の説教集で取り上げられることが少ないので、意識して含めた、ということが記されているが、これについても私は賛成である。というより、私も二人に関する記事からは、大いに与えられるものがあると考えている。この意図にも肯く者なのである。
 本書から、心に留まった表現を、少しばかり引用させて戴く。
 人間が持っている「正しさ」には限界がある――真実な愛は、それまでのあり方を破壊する――数え切れないほどの幼児を含むユダヤ人を虐殺したのはキリスト教世界に生きる人々である――私たちが信じている「神」とは往々にして「自分」のことだ――戦争という恐るべき犯罪は美化されて記憶され、新たな犯罪が用意される――古い自分が活き活きと生きており、自己顕示欲、自己満足だけを追い求めている自称牧師とか、自称クリスチャンは山ほどいる――その敵を憎み、敵に対して武力で報復し、倍返しをすることを当然と思わせる力こそ、私たち人間にとっては最も手強い敵なのだ――言葉が出来事となる。言葉が現実となる。見ることができる言葉。それこそ、信じるに足る真実な言葉であろう――「今日、この箇所を通して神様が私たちに何を語りかけてくださるのか」ということになれば、それは多少持っている知識など何の関係もないことであり、白紙の状態に近い。表面的な意味が分かることと、そこに記されている言葉を神の言として聴くこととは全くの別物であり、神の言として聴く、あるいは聴こえる瞬間はいつだって驚きに満ちたものだ――
 これらは、本文中では敬体であるが、敢えて常体で並べてみた。あちこちから部分的に引用しただけだが、私が呟くよりはよほど的確に、力をこめて語られている真実ばかりではないだろうか。しかも、他人を批判しているようでありながら、常にその眼差しを自分自身に対して厳しく向けているということが、実によく伝わってくる。きっと、そうであるからこそ、言えることなのだろうと思う。
 このような観点で、聖書の恵みが十分に語られている説教集である。神の言葉がひとを生かすという信仰に貫かれた説教の数々がここに並ぶ。クリスマスの時期が終わった頃から、私はこれを読み始めた。だからまた、いっそう、クリスマスの意義というか、クリスマスの命というか、神の迫りが感じられたような気すらする。仕事の関係で、クリスマスの礼拝には近年殆どまともに参加できていない。しかし、突き刺すような、そしてきらめくような恵みを、ありがたく受け取ることができた。
 著者の、まだ読んだことのない説教集を、また読みたいと思った。




Takapan
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