本

『エレミヤの肖像』

ホンとの本

『エレミヤの肖像』
日本版インタープリテイション82号
聖公会出版
\2000+
2013.9

 エレミヤは私の愛する預言者である。エレミヤ書からその生涯を辿ろうとしたことがある。すると、たいへんな困難に遭う。ちっとも順序など考えられていない編集なのだ。出来事はある程度歴史的に時代順が明らかになっているのだが、エレミヤ書はそれらがてんでぱらばらに置かれ並べられている。そのまま読むと、ドラマとしてはさっぱり分からない。第二コリント書どころの騒ぎではない。精一杯その順序で読み、物語に仕立てたというのが私の試みであった。
 エレミヤは、他の預言者とは一風変わっている。神の言葉を預かって伝えるというのが預言者の定義であるが、エレミヤは、そうとう神に噛みついている。神とケンカをしていると言っても言い。そんな神の言葉を携えて、権力者やそれに媚びする預言者と、これまた徹底的にケンカをする。そのため命を狙われもするし、それをかくまってくれる仲間に助けられもする。予言に失敗したこともあるし、しかしなお、エルサレムは破壊されるという真実の予言も行い、さらにそれが後に回復するという具合に、土地を手に入れるという無謀なことまでしている。荒らされる神殿を尻目にユダの地を離れるエレミヤであるが、その後の足取りは定かでない。私はそこを、ある仮説に基づいてひとつの物語としてまとめたのだった。
 インタープリテイションという論文集を、聖公会が発行を引き継いだが、経営的には難しいものがあるだろう。これだけのものを2000円で販売しなければならないのも辛いが、だからまた、売れるというものでもないだろう。私もまた、定価で買ったわけではなかった。気の毒だが、私にできることはそれくらいだ。
 ほぼ最先端の論文が紹介される。必ずしも有名な著述家のものではない。しかしだからまた、現場の息吹が感じられる。質はいい。さらに専門家は、その注釈を参考にして、いくらでも深めていくことができよう。「テクストと説教の間」という試みも私は気に入っている。釈義をしてしまわずに、読者にある程度委ねるような恰好である。聖書の「深読み」といったところであろうか。
 必ずしも、学説を決定するような勢いはないかもしれない。権威で以て押しつけるようなところもないように見える。しかし、自由な討論がそこになされる。その契機が公開される。こうした場は、やはりいい。
 論文はエレミヤを、希望の使者として描いたり、トーラーの教師として描いたりする。それ相応の論拠があるので読んでいて楽しい。しかしなお、エレミヤが神と対峙している様もありありと窺え、そんなエレミヤを単純に一言で片づけることができないことも、皆分かっている。
 やはり、私はエレミヤが好きである。神の言葉さえ語っておればうまくゆく、そんな幻想を打ち消してしまう神の仕打ち、そして反抗するエレミヤにも、しっかりと宿り、はたらき続ける神の真実。ひとは誰も言うことを聞いてくれないにも拘わらず、これは神の言葉だと訴え続けるなど、懸命に生きるエレミヤの姿に、自分を重ねてみることもできる。この幾つかの論文は、エレミヤの様々なイメージを突きつけてくれるが、神に出会ったクリスチャンは、ここからエレミヤとも出会うことができるだろう。エレミヤの顔が、浮かんでくるだろう。日常から、少し冒険に出てみることも可能であると思う。




Takapan
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