本

『日本の美100』

ホンとの本

『日本の美100』
平凡社 CORONA BOOKS
\1890
2008.10

 一人の人物の見解を一冊ずっと書いてある本だと、視点が一箇所に限られるのが普通である。それに同調できるならば、ずっと楽しい旅ができる。言うまでもなく、本を一冊読み進むというのは、ひとつの旅のようなものだと理解してのことである。著者と同行することによって、深い知識と共感を得ることになるのであるが、それはまた、その一つの視点だけしか味わえないということになる。
 この本は美しい。豊富な、「日本の美」に相応しいものの写真が集められている。しかし、それは、25人のいろいろな立場の人が選んだ、「日本の美」なのである。一人が四つずつ、自分の思う「美」を挙げる。どんな形でも構わない。四つである。これで、この本全体で100の「美」が集められる。それぞれへの思いがエッセイ風に綴られている。美しい写真と共に、読み応えのある内容である。短くてはあっても、それぞれの筆者は、その短い原稿の中に、すべてを伝えようとするのであるから。
 有名な美術作品を選ぶ人もいれば、素朴な身の回りの風景を挙げる人もいる。映画などもある。たとえば、「霧」「下駄」「雑木林」「大家族で迎えるお正月」「祇園祭」「扇子を使う情景」「茶道」等々、あらゆる視点がここに集められている。とにかく、人により、観点がまるで違う。もう「美」というものが自由であることが思い知らされるかのようで、何がどう美なのか分からなくなるというよりも、「美」というものはこんなにも懐の深いものなのだということを教えられる印象である。
 本の最初と最後、そして途中にも、一続きの対談が収められている。高橋睦朗氏と池内紀氏の対談である。これが、日本や美について豊かな世界を読者に示してくれる、実に有意義な対談なのである。対談自体は十年ほど前になされたものであるが、この本のために交わしたのではないかというような対談であった。
 私は個人的に、本の中程にある「カエル橋」というのが気に入った。過疎の町が願いをこめてこしらえた鉄橋のデザイン。実にカッコ悪い芸術ではあるだろう。だが、それが私たちの国なのだ、生活なのだ、とコメントされている。
 その中で、「美」がそもそも、羊の立派な様である、と触れている部分があった。正義の「義」と似ており、こちらは羊をのこぎり(我)で殺すいけにえを表している。神へのいけにえであるならば、傷のない、十分美しい羊でなければならなかったことだろう。聖書の犠牲のことを思うとき、中国人のこの感じに対するセンスには驚かされる。あるいは、世界で当然のように、そういう正義が想定されていた、ということなのであろうか。
 様々な立場から、「美」が伝えられる。私たちは、自分の見ているものがすべてであると錯覚していることがある。しかしこの本には、少なくとも25の視点がある。私たちはこういう考えの集められた場に触れることによって、世界にいくらでもある、立場の違いや視点の違いというものを、ようやく少しだけ想像できるようになるのではないだろうか。




Takapan
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