本

『空を駆けるジェーン』

ホンとの本

『空を駆けるジェーン』
アーシュラ・K・ル=グウィン
村上春樹訳
S.D.シンドラー絵
講談社文庫
\629+
2005.3.

 今にして思えば、この「空飛び猫」だけでここに四冊を提供している。ひとつにまとめて書いたほうがよかったのかだろうか、と思うこともある。だが、一つひとつが生き生きしているから、やっぱり一つひとつの良さをお伝えしたいと思うのだ。
 これは第四の作。だから、背景としては、これまでのお話を踏まえていることになるので、キャラクターの性格や経緯について知っておくと、より味わい深いのではないかと思われる。
 だが今回は、ジェーンだけである。最初の4匹は影を潜め、ひたすらジェーンが動く。
 そもそも4匹の空飛び猫がいきなり現れて、都会の日陰の部分から田舎に飛んで行くというところから、物語はスタートした。幸い善良兄妹と出会うが、そもそも母親は、人間に見つからないようにしなさい、と教えていた。それは、人間に捕まると、不自由になり、見世物にさせられるからだ、という。
 今回は、これが主軸に物語が進む。
 この4匹は一度母親のところに戻る。そして、父親の違う妹のジェーンを知る。ジェーンは最初口が利けなかった。そしてそのままに4匹と共に生きていくことになる。
 ジェーンは、飛ばない猫のアレキサンダーと出会い、口が利けるようになった。
 そして今回、そのジェーンが、退屈な田舎での生活を疎んじ、旅に出る。そして都会で、親切な男性に出会うのだ。
 ストーリーは明かさないようにしよう。だが、ご想像の通り、人間の怖さをジェーンは思い知ることになる。いや、危害を加えるというのではない。空飛ぶ猫は人間界の興味にマッチし、金づるとして利用されるのである。
 村上春樹が、丁寧な解説を入れてくれている。また、これはシリーズでおなじみとなったが、ところどころ、英語の翻訳上の説明を巻末に載せている。これが英語を味わうとはどういうことかを教えてくれて、かなりの楽しみである。翻訳家が、翻訳の手の内をこうして明かすということ自体が、うれしいではないか。
 さらに今回、訳者の「あとがき」がかなり濃い。本書の原題を、訳者は大きく変えている。その原題を、「自立する」という言葉なのだとここで説明している。それは実に本物語を的確に捉えていると私も思う。では何故それを日本題に使わなかったのか。それは明かされていないが、日本語としての響き、そして自立というテーマに縛り付けたくないという思いからではないか、と想像する。自分の生き方を自分で決める、それは危険も伴うが、助けはきっとあるという、世界への信頼にも関わっている。このことを、自立という日本語のもつ堅苦しい言葉によらず、空を駆ける、という自由と希望に溢れる動きのある言葉にしたというのは、やはりさすがと言うほかない感性であると言えるのではないか。
 ジェーンは黒猫である。それだけのことに、作者は意味をこめているのだ、というようなこともそこに解説されている。しかし物語を読む前にそれは読まない方がよい。とにかくまずは、物語にわくわくし、ジェーンの経験を自分のことのように体験することをお勧めする。
 作者は寓意を様々にこめていると村上春樹は言う。だが、それを謎として解き明かす必要はないと思う。読者一人ひとりに、別の意味で迫ってくるものがあってもよいのではないか。作者は作者で、ある意味をこめて描いているということも、あってよい。だが、読者はまたそれとは違う意味に受け止めて楽しんでもよいと思うのだ。百人百様の感じ取り方によって、一つの物語が百の意味をもってもよいのだ、と。それぞれが新たな発見をすることもあるだろう。そして、ジェーンは一人ひとりのもとで、駆け回ることだろう。
 それとも、私たちがそれぞれ、ジェーンとなって空駆けることこそが、作者と翻訳者への一番の喝采になると言えるのだろうか。
 シリーズは今知るところではこの他には出ていない。だったらなおさら、この希望に満ちた邦題は、やっぱりそれでよかったのだとしたいではないか。




Takapan
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