『中学生時代 勉強・生活・進路』
林友三郎
岩波ジュニア新書58
\583+
1983.2.
図書館が、偶にだが、図書整理をするに辺り、古い本を表に出すことがある。自由に持ち帰ってよい、というわけだ。古くて意味のないような雑誌にしても、誰かにとっては貴重な資料となるかもしれない。読みたかった本を、そこで初めて目にするかもしれない。また本を増やすのか、と家族に迷惑がられているが、掘り出し物を見つけることもあるし、急にそれを見て読みたくなることもある。
本書もそうであった。1992年印刷は第18刷というから結構読まれたものであるらしいが、最初の発行から40年も経っている中で手に取った。私の世代に近い中学生が描かれているというのは、興味が湧いた。著者は、中学校教諭であると共に、生活指導研究協議会なるものの委員でもある。本書の執筆は肯ける。
ところどころイラストはあるものの、中学生のスケッチのようなもので、特別な意味があるわけでもなく、くすっと笑わせるような意味もなく、その意味では全編ひたすら文字がある、と言ってもよいような構成である。但し、一つひとつの項目は、基本4頁で区切られて、読みやすい。
その「はじめに」で、「これから中学校にあがろうとするひとたち」の不安や、「いま中学生であるひとたち」の悩みを想定し、「この本は、きみたちの悩みや疑問に答え、中学校生活とはどんなものか案内しながら、きみたちが充実した中学生時代を送ってくれることをねがって書かれたものです」と宣言している。
そして、これからの話の軸を挙げている。「まず、基礎的な学力をしっかり身につけること」、それから「からだをきたえ、丈夫なからだをつくること」、さらに「クラス(学級)の生活をたいせつに、ともだちと協力すること」「親の苦労がわかり、自分の進路を考えること」、そして「毎日の生活を規律正しく、計画性のあるものにつくりあげること」ということである。見事な「先生」の教えである。文句の出ようはずがない。
と同時に、これが40年後のいま、どのように聞こえるか、受け止められるか、考えてみる価値があろうかと思う。私たちは、その都度いまの自分たちが標準となる。いま正しいと思われることこそが正しい、としか思わないのである。とくに「いま」しか経験していない若い世代には、価値観の比較すらできないわけだから、いまの壮年やもう少し上の世代が、どういう道徳観をもつように教えられていたか、を垣間見ることは、案外なかなか体験できないことではあるまいか。
目次としては、サブタイトルにあるように、「勉強・生活・進路」の三部構成になっているはずだったが、初めの二つが20項目ほどあるのに対して、最後は「進路と自立」と名前が長くなっているにも拘わらず、項目は4つに留まる。そこだけまず見ておくと、「高校を選ぶとき」「生きる目標をもつ」「進路図を考える」そして「きみたちの青年期」というように、未来へ向けて、広い視野から語りかけていることが分かる。また、非常に抽象的な内容になっている。となれば、それが長々と続くのは、読む方に負担が大きい。この分量は適切であろう。
それよりも、「勉強」と「生活」という二大関心事が、中学生の日常生活を形成することに目を向けよう。それぞれ、著者が経験したような教室の場面を具体的に描くことも多く、親しみがもてるように工夫されている。やはり、抽象的に教えを垂れるとなると、そもそも手に取ってもらえないかもしれないのであろう。そして実際に生徒から持ちかけられた悩み相談や学校での問題などを、先生の経験として蓄え、それを上手にこうした提示に活かしている、と言うことができるだろうと思う。
しかし、「生活」というのが、家庭生活のことかしらと思うと、これがどうやら違う。場面は基本的に学校なのだ。学級作りがメインであり、チャイムが鳴ったら席に着くというきまりについて、できなかった班が罰を受けるなどといった問題が、案外幾度も取り上げられる。班長の悩みや、学校行事との関わりなどが描かれた後、最後の方でようやく部活動がちらりと登場する。そしてかすかに「塾通い」が取り上げられるが、当時と40年後とでは、塾のもつ意味合いや重みが全く違うと思いきや、案外いまにも通ずるような観点があって、興味深く思った。それに、当時は中学生の就寝が夜10時くらいに想定してあるようなのは、いまとなってはびっくりである。確かに私が、夜11時からラジオの「深夜放送」を楽しんでいたのを思うと、それもまんざらオーバーではないかもしれない、とは思うが、いまの子どもたちの睡眠事情というのは、かつてと大いに違ってきてしまったのだ、と考えさせられる。私はその塾の当事者であるから、その悪いことに加担していることを、常々申し訳なく思っている者なのであるが。
また、その「生活」の最後には、「身のまわりのしごと」と「ことばづかい」があるが、それぞれ、家事との関わりのことと、文として言葉を発せないことなど、コミュ障的場面などが取り上げられていた。しかし、これで「生活」は終わりである。学校という枠の中での「友だち」の他は交友関係には触れることがないし、まして「遊び」については皆無と言ってよかった。これでは、「中学校内生活」へのアドバイスではあっても、とても「中学生時代」という題からすれば、物足りないものではなかろうか。「中学生時代」には、「中学校」という場しかないのだろうか。中学校の先生の目から見てのアドバイスであるから仕方がないのかもしれないが、「生活指導」が、中学校が口出しできる事柄の範囲でぴたりと線引きがなされているようにしか見えないわけで、本書が「中学生生活」のために書かれているような表現をもつ割には、「中学校内生活」に終始している点は、こうした新書の厚みを考慮すれば仕方がなかったのだろうか、と少し残念に思う。
ともあれ、本書を、これからの中学生が手に取るとは思えない。だから本書が目に触れるとすれば、いまの親から祖父母世代が、これとは違う「いま」の若者を見つめるための、一つの基盤になるかどうか、というところであろう。現在に振り回されないためにも、そういう姿勢は、あってもよいと思う。

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