本

『イエス・キリストの言葉』

ホンとの本

『イエス・キリストの言葉』
荒井献
岩波現代文庫213
\1300+
2009.3.

 NHKのラジオ「こころをよむ」のテキストをもとにまとめられた本であるという。単に本にしたというのでなく、修正や加筆があり、また一つの味わいある本として生まれ変わったものであろう。
 公共放送のテキストとなると、制約もあるだろう。しかし、ふだんより慎重になるに違いない。信徒や好意的な人たちばかりが聞くとは限らない。また、聖書について基本的に知らないと思われる人が聞くことを想定しなければならない。とにかく誰が聞いているか分からないし、どんな思想をもつ人が耳にするか知れない。ちょっとした言い回しや、取り上げた例によっては、クレームが来たり、悪評が生まれたりすることが考えられる。難しい課題だと思う。それでいて、当たり障りのないことばかり語ると、今度は聖書を知る人から厳しい批評が向くこともありうる。
 そうしたバランスの難しさの中で、著者自身の思想や社会批評も含め、本書は私のような者でも十分楽しめるものとなっている。また、学ぶところも多かった。聖書について一定の冒険的な解釈も施すし、それを周到な根拠から挙げてもくる。説明はさすがに一流である。そして、それを読者に押しつけたり、一方的に断定的にぶつけてきたりすることもなく、自分の思うところとしてきっちり提示するに留める。こうした書き方をしてみたいものだと羨ましくも思った。
 聖書をどう読むべきかというあたりから本書は入る。逐語霊感説は相手にしないが、聖書を神の言葉としてどう捉えるかについては、文献として受け取る立場を明確に示す。学者にできるのはそこであろう。信仰をどうもつかは読者個人に委ねられているわけだから、聖書を解説したところで、それだから信じるしかない、などという道に入っていけるはずがない。しかし思うに、これだけ聖書を切り刻み裸にするようなことをしておいても、なおかつその聖書というものにしがみついているという学者は大した聖書への信頼を寄せているに違いない。なまじ、聖書は誤り無き神の言葉、と宣伝する人々が、聖書に書いてあることの一部に目をつむり都合の悪い点には全く触れたがらなかったり、現代において適用できない教えには見向きもしなかったりするのと比べると、あくまで聖書の記述や、その動詞の時制一つひとつにこだわってとことん考察し抜くリベラルな学者は、まことに聖書の記述に信頼を寄せているものだと驚くほどである。
 そうした聖書への固執から、このように自分は解釈したい、受け止めたい、ということで、著者は聖書のエピソードや教えを繙いていく。それは、実に愉快であり、時に心にずしんと響く。とくに、現代社会にどうこれが適用されるか、いまここに置かれた私たちにとってこの聖書の言葉はどのように受け止めるとよいのか、そんな問いかけには、逃げ場すらなく、真摯に向き合わなければならないことを教えられる。
 副題は「福音書のメッセージを読み解く」とあり、著者なりの仕方で、聖書と格闘していることが窺える。読者もまた、それぞれに聖書と向き合うことが求められる。それは自分と神との関係の問題である。著者の足跡を踏むことではない。しかしその勇敢な立ち位置は、どこか倣ってよいものであろう。著者は、イエスの死で本書を終えている。復活のイエスの言葉は気にかけていない。それがまた一つの主張であるのだろうが、読者として私たちは、復活のイエスの言葉をも、メッセージとして受けることが許されているとすべきだろう。そこから何をレスポンスしようか。それがまた、福音書のスタートに戻り、イエスと共に旅をするという、マルコの福音書の辿る道を、私たちに提供してくれるかもしれない。
 聖書の文献研究について理解がある方は、得るところが多い一冊であろうと思われる。




Takapan
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