本

『イエス・キリスト 受肉した神の物語』

ホンとの本

『イエス・キリスト 受肉した神の物語』
ジャック・マイルズ
五郎丸仁美訳
青土社
\3200+
2002.10.

 この本は実は知らなくて、あの『GOD 神の伝記』の続編だということを聞いて、ああそうかと認識を新たにしたのだった。かの本は1996年にピューリッツァー賞を受けた作品で、神についての論究である。信仰のための本ではない。旧約聖書を辿るものだったと思うが、本書はそれの新約聖書についてである。実際は、福音書に終始していると言ってよく、なかなかよく勉強されていることは伝わってくる。
 聖書を芸術作品として読むとどうなるか。このテーマが明確であるため、読者もそのライトの当て方でのみ楽しむのであれば、なかなか愉快に聖書を味わっていくことができると思う。信仰が第一という意味でなく、これは優れた作品なのだ、だから歴史性を議論し合う必要もなく、各自が味わえばよいのである。
 信仰する人から見れば、けしからん思いも起こるかもしれない。しかし実にちゃんと聖書のことを調べているし、研究書も読み込んでいる。そこらのクリスチャンでは歯が立たないくらいの熱意で聖書と向き合っている。その中で、歴史的議論に対応できなくなった信仰者は、原理主義に走り、全く神学を相手にしなくなるという場合もあったはずである。しかし、本書のような立場は、歴史的議論をすべて超越することができる。最初からまともに相手にしないのだ。これはむしろ、信仰する者にとっては強みとなるのではないか、とすら私は思う。
 それから、これは日本人には馴染める読み方ではないか、とも感じた。というのは、信仰せよ、もししなければ云々という態度で来るものは容易に拒むけれども、教養や文化として来る分にはウェルカムである日本の体質に合うかもしれないからである。事実、ビジネスパーソンにとり、国際的な付き合いをするうえで、キリスト教とはなんだ、聖書には何が書いてあるのだ、ということはここのところ関心の定番となっていて、様々なムック本や聖書解説の本が花盛りなのであるが、その中の少なくないものが、絵画や美術によって聖書を辿るとか、聖書に描かれていることを知るとかという企画になっており、そうでなくても、とにかく一つの文学作品であるかのようにして、聖書について説明してあるものが非常に多いのである。となれば、本書のように聖書を味わうというのは、日本人のニーズにはかなり合っていると言えるかもしれない。尤も、そうなると膨大な注釈は敬遠されるだろうし、またそもそもこれだけの文章だけの大部になる書を求めるかどうか、ということで、なかなか手に取ってさえもらえないのではないか、とも危惧する。
 しかし神学的な方面においても、私は本書に共感する部分をもつ。というのは、キリスト教神学は歴史的に、ギリシア哲学の影響を強く受け、時に理論に走り、教義が哲学的なものとして走って行ったことは否めない。その結果、神学的な理論は構築されたかもしれないが、生きた信仰はどうなったかという点において、まことに心許ないことになってしまったと嘆く人もいる。しかし本書は、非常に具体的な素材を大切にする。イエスが譬えによって語ったように、実際の物を頼りに、神との出会いをイメージする。私たちが触ったものとしての神を想定するとすれば、まさにぴったりの方面のアプローチを提言しているのである。
 この著者の信仰はどうか、などと詮索する必要はない。当人が、信仰があると言っているのであれば、それはそれでよいのだ。その人と神との関係は、そちらの場面にお任せすればよい。読者も読者で、それぞれの心の琴線に触れるものがあればよいし、聖書は理論的にこのような命題で云々、と迫るよりは、読む物各人が各人なりに神を知り幸せになるのであれば何よりだ、というふうにもし考えるのだとすれば、それはまさに文学として扱っていると言われてもまさにその通りとしか言うよりほかないのである。
 だから、キリストは神か人か、といった議論を究めようと躍起にならなくていい。なんだか矛盾して記されていておかしいんじゃないか、と訝しがるお堅い人向けに、著者はこのように言う。「二つの相矛盾する個所がひとつの同じ福音書に書かれるまで、どのような経緯があったにせよ、両者は、矛盾したまま結びついたことによって、この結びつきによる独特の効果に対して開かれた読者に、まさしくその独特の効果を享受させてくれるのだ。」
 私たちは直に感覚し、その向こうにあるものを想像する。それができないままに、書かれてあることの徹底した究明しか考えないのは、人生をつまらなくするであろう。聖書は、たとえそれが実際に起こったのでない出来事だったとしても、すばらしい事実となっていくことができるのである。著者は、けっこううまく立ち回っているのではないか、と私は考える。




Takapan
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