本

『イエス・キリストの「幸福」』

ホンとの本

『イエス・キリストの「幸福」』
光延一郎編著
サンパウロ
\3000+
2010.7.

 サブタイトルに「キリスト教の原点を見つめて」とあり、この本が「2008年上智大学神学部夏期神学講習会講演集」であることが明示されている。毎年開かれている、カトリックの研究者による発表会とでもいうか、年間のテーマの下に繰り広げられる饗宴の記録である。だから毎年違うテーマが掲げられる訳だが、この年は「幸福」である。
 哲学的にも幸福論は興味深い。実のところ、哲学において幸福という概念は、曖昧極まりないものであるのだ。まともにその概念を議論し合うということが、あまりないのである。何かしらその時代の空気のようなものとして、幸福とはこういうものだという了解があり、幸福概念の基礎づけということは稀である。先日新書で、現代の幸福論を扱っているのが分かるような名が付いたものがあり、開くと、経済の話だった。幸福といえば、金であることが前提されているかのように見えた。
 もちろん、人間の歴史の中ですべての時代がそうだった訳ではない。では聖書の中ではどうだろうか。これが案外はっきりしない。というより、哲学の世界ではっきりしないものが、聖書の中で明確に定義されているというようなことは期待できないのだ。
 幸福というと、「幸いである」という意味で、イエスの山上の説教にある八つの幸いがすぐに思い出されるかもしれない。ルカだとこの数が減るが、ルカの場合にはそれぞれに対応して不幸のカタログも明らかにされている。また、「心の」貧しい者とするマタイと、「心の」をつけないルカの間にはどういう関係があり、どういう意味があるのか、検討するとかなりの量の論考となる。本書には、そのことも深く、しかし分かりやすく説明されている。流石だ。
 この点に注目した論考が多い。それぞれに違った視点や強調点があり、読んでいて楽しい。決して通り一遍の辞書的な説明を施そうとしているわけではないのである。しかしまた、詩篇にも「幸い」という考え方があり、こうなると、新約と旧約との間で幸福概念がどのように違うのか、また共通なところがあるのか、気になる。
 特にカトリックでは、清貧という思想があり、アッシジの聖フランシスコが有名である。また、小さき花のテレジア、その名を受けたマザー・テレサというように、長い歴史の中で受け継がれた精神にも光を当てる。そこにあった幸福とは何なのだろうか。特に、いまなおネットでよく考えもしないままに、マザー・テレサの心の闇などと言って、人間臭い腹黒さや偽善などと言い放つものが絶えず、それを鵜呑みにしてしまう人も増えているような中で、冷静にその問題をきちんと調べて説明する論考があったのは、私にとりありがたかった。この問題をよくこ存じの方の声を聞きたかったからである。
 そのうちに、平和と幸福とが近いということになり、平和概念も検討される。もちろんそれは戦争の対義語ではないが、どうして戦争と平和とが対置されるようになったのか、その辺りに光を当てる研究も発表される。ヘブル語の平和という語には、満ち足りるニュアンスがどうしても含まれるということはよく知られているが、私たちが思い描く平和という考え方と、聖書のそれとは違うということを、まず私たちは弁えなければならないのである。戦争という言葉の意味自体、私たちの預かり知らぬ文化的背景があるものだ。でないと、十戒で「殺すな」と命じた神が、掌を返すように、「殺せ」と命じることで私たちは錯乱する。戦うなという言葉と、戦えという言葉とが、聖書の中では自由に交錯しているのだ。それは神の言葉の矛盾だととりたい人はとればよいだろうが、神の信実のひとつの現れとして受け止めた方が、私たちにはよい結果をもたらしそうである。
 現在の世界の平和を考えるためには、代表編者による最後の論文が私には感銘的だった。世界は如何なる意味で危機的なのか。私たちは何をどう当たり前だと思いこんでしまい、大切なものが見えなくなっているのか、考えさせられる。それは、政治に反対して憲法を守ろうと叫ぶ、一見善良なキリスト教の集会に加わる人もまた、もっと学んだ方がよい、という私の感想も含まれているということだ。学術的でなく、説教的であるので、無用な詳述や注釈を以て成り立つ本ではない。一読して分かるように言われているし、書かれている。こんなに易しい言葉で、しかし様々な観点をきちんと踏まえた上で、平和が語れるのである。
 平和を壊すものは、私の中にある。平和を創るものは、私の外からくる。幸福を壊すものは、私の中にあり、幸福を生むものは、私の外からくる。私という器は、その宝を容れることが可能なようにできている。私というおぼろな鏡は、清い光を反射することが許されるように置かれている。イエス・キリストの幸福について、たっぷりと堪能する一冊であった。こんなによく学べる素材が、あまり知られずに眠っているのはもったいない。とくにプロテスタント教会関係の方々は、ぜひ目を向けて戴きたいと思うばかりである。




Takapan
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