本

『ITに殺される子どもたち』

ホンとの本

『ITに殺される子どもたち』
森昭雄
講談社
\1575
2004.7

 たとえ10のうち3が誤りである、言い過ぎであったとしても、残りの7を否定したことにはならない。もし7が誤りであっても、残りの3は否定されない。
 危険を量るものさしは、この理屈が優先される。もしも9が安全であったとしても、1の危険を蔑ろにできないという考え方である。安全の度合いは過半数で満足されるものではないからだ。
 この本のサブタイトルは、「蔓延するゲーム脳」となっている。そう、かつて話題に上った『ゲーム脳の恐怖』という本の著者である。
 この本は、ネットの中では特に評判が悪い。掲示板などでクソミソに書かれている。こんなバカなことはないぞ、俺はゲームをしているがゲーム脳などではない、などというどこか個人的な文句ならまだ可愛いのだが、本の中は全部嘘っぱちだ、と本を否定しようとするものも多い。そもそもインターネットを使いこなしている面々は、しばしばコンピューターゲームも大好きというケースが多いだろうし、そうした人々が、ゲームは危険だと書かれた本を攻撃したくなるのは、尤もなことである。
 何もかもを、ゲームのせいだとする言い方に、反発を覚えたのかもしれない。
 著者は、そうした反対意見に応えるかのように、新しいデータや説明を基に、再びそのゲーム脳の危険性を指摘しようとしている。しかも今回は、いわゆる「ゲーム」に限定するのではなく、次の2点が強調されていると私は受けとった。
 ケータイへの熱中は、ゲームに勝るとも劣らぬほどゲーム脳に変えていくこと。
 小学生以下の年齢にコンピュータ教育を積極的にさせるべきではなく、五感を使った自然体験を多くさせるのが脳の健康のためによいこと。より幼い子どもには、人対人の会話やコミュニケーションが必要であること。
 揚げ足をとろうと思えば、いろいろ可能かもしれない。だが、最初に掲げたように、もし7が誤りだとしても、残りの3の危険性を回避したことにはならない。私は脳科学のことは分からないが、少なくとも体験的に、ケータイにはまっている人の思考力がどうかしている場合が少なくないことを、自信をもって指摘することができる。ちょっと考えてみればそんなことできるわけない、ということを、いとも簡単にやらかしているからである。
 危険は、子どもたちに限定されない。50歳を超えても、ゲーム脳になるという。たしかに、ケータイにはまり社会性を忘れた大人を見ることが以前より多くなった。2004年8月31日には、仙台で、電車内での携帯電話を注意した人に向かって、50歳くらいの男が逆ギレしてその人の胸ぐらを掴み、服を破ったという報道があった。
 公共性に欠ける行為は、もはや珍しくも何ともなくなった。悲しいことだが。




Takapan
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