本

『ハドソン・テーラーの伝記』

ホンとの本

『ハドソン・テーラーの伝記』
聖書図書刊行会編集部
聖書図書刊行会
\420+
1956.5.

 ある教会の説教の中で、ハドソン・テーラーの名前が出た。聞いたことがあったので、これも何かを神が知らせようとしているのかしら、と関心をもち、本を検索してみた。すると、見事に、情報が欠けていた。大手の書物販売サイトでも、ほんのわずかな数しか本が出まわっていなかったのだ。そして、その本というのが実に古い。つまり、ここ半世紀、まともにこの伝道者は、日本のキリスト教出版界で取り上げられていないのかもしれない、と思ったのだ。もちろん、今出まわっていないだけで、発刊されてはその都度売り切っていたのかもしれないけれども。
 イギリスから中国へ伝道することに献げた人生。この本は、どうやらその伝記を編集部でまとめたもののように見える。中の扉にだけ、サブタイトルのように「中国を愛し、中国の民衆へ福音を伝えるために生涯をささげた」と記され、「ハドソン・テーラー(載徳生)の伝記」と掲げられている。なにせ私が生まれる前に出版された書物である。慎重に扱わないと、頁が破れる。もちろんマーカーなど使う気になれない。
 物語は、ハドソンの祖父あたりの生涯から始まり、その家庭環境が丁寧に語られる。そしてハドソンが生まれてからの出来事が、手に取るように伝えられる。いったい、どんな文献を根拠にこれだけきれいに物語がまとめられたのか、当時はそうした資料を提示するという習慣がなかったのか、教科書のようにひとつの物語が淡々と進められていく。その時の情景が目に映るように詳しく描かれ、これはひとつの映画のノベライズのようにさえ思えてくる。
 つまりは、一読すればよく分かるということである。その意味では、昔の本はよくできていた。読者を楽しませることについては、問題なく優れていた。
 中国へ行く過程や出来事、中国での困難さもよく描かれている。細かなエピソードもどきどきしながら読み進める。しかしまたそこに、主が共にいること、敬虔に祈りつつ事に当たっていることがよく伝わってくる。まことに偉大な伝道の業であった。
 後半で、日本の関わりが現れる。日本だけが悪いのではないが、日本国内で中国と関係が悪化していくときに、奥地で伝道している宣教師たちの命が危うくなっていったのだというありさまは、歴史の考察の中では決して出てこない。しかし、歴史には、表に描かれる事件ばかりがあるのではなく、その背後にあらゆる人への影響があり、語られもしない中で多くの人の命が奪われているのだ。なにも戦火の見える戦場だけが人の死んだ場所ではないという、当たり前のことを改めて教えられて気がする。
 物語では、金銭的に困窮したことが幾度か描かれている。そしてその都度、祈りにより、不思議と与えられたという結末がもたらされている。これは私の聞く限り、多くの宣教師の証しに出てくる事実である。日本人の話からも幾度か聞いたし、身近な牧師もそういう経験をしている。金に仕えることをしなかった伝道者には、神は必要なものを与えるのだと改めて思う。しかしまた、十分与えられたからこそ証しが遺っているのであって、そうならなかった事実はこうして記録されていないであろうことにも思いを馳せる。みこころに適ったというと、そうでないことが適わないように見えてしまうのでよろしくないが、神の業はなるべきところになっている。
 道が閉ざされなかった伝道者の生涯ではある。しかし、そこにも幾度も閉ざされ行き詰まった経過がある。妻を亡くし子を亡くす、そうした悲しみの後にも、伝道者の歩みは続いた。私たちは、そのあとを行く、同じ地上の旅人であることになる。
 古い本だが、出会えてよかった。




Takapan
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