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『ホイヴェルス神父――信仰と思想』

ホンとの本

『ホイヴェルス神父――信仰と思想』
土居健郎・森田明編
聖母文庫(聖母の騎士社)
\500+
2003.4.

 きっかけは、加藤常昭氏の日々の黙想のための本だった。多くの本をお読みであり、恵みを与えられた良い本がそこにはよく登場する。それを見るたびに、読みたくなるのが私の性格だ。ホイヴェルス神父の名も、そうであった。
 だが、本人の文章もさることながら、その人柄などを、別の視点から聞くのもよいだろうと思い、今回は、土居健郎さんらが編集したものを読んでみることにした。それは、周囲の人々の声と共に、ホイヴェルス神父自身の言葉も、断片的ながら集められている。入門としては、それでよいのではないかと思った。
 聖母の騎士社は、長崎でマキシミリアノ・コルベ神父がつくった出版社である。ずいぶん苦労して印刷を始めたことを、私は聞いていた。などと言っても、コルベ神父とは誰か、と言うような日本人が増えてきたようで、寂しい気がしている。アウシュヴィッツの収容所で、ある人の身代わりになって餓死(最期は毒薬注入)に至ったことを、キリスト者として知らないわけにはゆかないだろう。後にカトリックにおいて列聖されている。
 さて、ホイヴェルス神父の方だが、イエズス会から日本に派遣された、ドイツ人である。派遣と言っても、志願が基になっているわけだが、上智大学の学長も務めた教育者でもあり、思想家としての働きにも力を注いだという。また、劇作家としての才能を発揮し、「戯曲細川ガラシア夫人」を書いている。これは、ある舞踏劇に関わったことで、自分でも戯曲を書いてみたいと思うようになった故であるという。それは神父の信仰の顕れでもあったし、日本人の優れた信仰の模範のようなものとして、ガラシアのことを見つめていたためでもあるようだ。本書でも随所でそのことに触れている。
 私はガラシアというと、やはり三浦綾子の小説のイメージが強いし、丹後のほうには縁もあるので、強い関心をもつ者であったが、このホイヴェルス神父の手によるものは、知らなかった。いつか拝見したいと思う。
 1977年に神父は世を去った。帰天25周年を記念する出版物が規格されてできた書である。個人的に関わりのあった方々の文章を幾つか拾い上げたのが第1部。第2部は、神父のことばを集めている。そして第3部は、その神父のことばを集めた以前の本に掲載されていた座談会を収録している。従って、オリジナルというよりは、再録であり、まとめであると言ったほうがよいが、手近な文庫に収められたことで、私たちのような門外漢にも触れやすいものとなった点はありがたい。
 また、巻末には、編者の2人の文章が新たに載せられており、本書全体の総括のような役割を果たしている。また、そこでも、神父の情愛あふれる生涯を、温かく描いていて、好感が持てる。その一人、土居健郎という名を聞いても、いまはもうピンとこない人が増えたのではないか、と危惧する。聖路加国際病院の神経科の教授として働き、日本人の精神構造を「甘え」と捕らえた著書が、ベストセラーになった。私たちが安易に「甘え」と呼ぶものとは異なるので、これについて発言するときには、きちんと『「甘え」の構造』を読んでから論ずるべきである。また、その続編も出ている。
 ホイヴェルス神父のことばの中に、幾度か「なつかしい神」という言い方が出てきた。私はすぐに察した。昔を懐かしむ気持ちからの言葉ではない。動物が「なつく」という使い方に近いもので、親しみを覚える感覚の意味である。これは神父が好んで使う独特の言い回しだったらしく、本書でもそのことが説明されていた。原語は「der liebe Gott」であるという。これは、ドイツ人が外国語にするときに困る語なのだという。ドイツ語ならばあたりまえのように使えても、翻訳がしにくいのだそうた。日本でも「もったいない」という語が説明しづらい、などと話題になったことがあった。もちろん、それは「神の愛」ではない。「愛する神」と呼んでも、その指すものが異なる。それを日本語で「なつかしい神」としたのは、日本語としてもやや外れた使い方にはなるだろうが、苦労して見出した、なかなかの適訳ではないだろうか、と私は思う。
 文学の人である。言葉に対する感覚と熱意は、人並み以上にあったはずだ。キリスト者は、この「なつかしい神」のハートを、もっと受け継いでもよいのではないか、とすら思う。




Takapan
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