本

『ハーバード白熱教室・世界の人たちと正義の話をしよう+東北大特別授業』

ホンとの本

『ハーバード白熱教室・世界の人たちと正義の話をしよう+東北大特別授業』
マイケル・サンデル
濱野大道翻訳協力
NHK白熱教室製作チーム
\1575
2013.12.

 NHKで取り上げられ話題となり、その後も様々な仕方で試み続けられている企画の、哲学教室。マイケル・サンデルはアメリカの現代の正義論でリードする学者の一人だが、その方法は通例イメージしがちな講義の様子とは異なり、聴衆を対象に議論をもちかけ展開していくというものである。しかも、聴衆同志に議論させるというあり方を得意とする。
 これは一見、どう話が進んでいくかどうか、分からないので教授としても収拾がつかなくなるのではないか、と懸念されるかもしれない。だが、ここでは問題提起は必ず教授側にある。つまり、「問い」を設定するのか教授である以上、これからの議論の中に何が出てくるかということは、当然予想している、というからくりがある。教授もプロである。通常の人々がどういう反応をし、どういう考えをもつか、予想は立っている。
 では万一、新しい考え方が出てきたらどうするか。実は教授はこれを喜んで迎えるはずだ。哲学者は、自分自身の中で、自分の説に対して反論を想定するのが通例である。それをしないと、反論がいざ出てきたときに対応できない。また、自分の理論の弱点を意識しないで提示するのは、スポーツにたとえても、つまらない選手であることが予想されるであろうし、哲学者としては失格である。これに失敗した場合、学会で得意気に発表したときに論敵から攻撃されて恥を晒す、というストーリー展開に陥ることになる。論敵もブロである以上、攻撃に手加減はない。そこへいくと、いわば素人の議論の場において、偶然教授側が予想だにない意見が出てきた場合は、その理論に驚きながらも、その場をほどよく穏やかに抑えていくことは、プロならばできる。そして、家に戻ってから、その説がもたらす新たなパースペクティブの可能性を緻密に考察していくのである。いわば、素人から研究のヒントをもらうということができる。
 意地悪なことばかり言ってしまった。サンテル教授がそう考えている、という意味ではない。私だったらそうする、という意味である。
 学生や市民を相手に議論を重ねて好評のシリーズであるが、今回の本は、世界を回っている。これは面白い。アメリカ内部での議論は、哲学の真理そのものではないと思われるからだ。アメリカでは常識的に判断する正義も、他国では正義と見られない場合があるはずだ。いくらアメリカで話を盛り上げても、出て来ない発想というものが、他国の正義感の中には出てくるはすだからである。アメリカの正義であるならば、アメリカだけでやっていればよい。しかし、正義を普遍妥当性の中に位置づけるためには、他国でも通用する議論でなければならないはずである。そのチャンスが、この世界ツアーの中で生まれてくるというわけだ。
 中国・インド・ブラジル・韓国。各国で、サンデル教授は自分のお得意の問いを投げかける。近年、経済的な考え方を取り入れてきているために、倫理に金が絡むという事態が多く議論の中にもたられさていた。それに対して、国ごとに反応が違うのが面白い。やはりその生活基盤により、正義感にはばらつきがあるのだ。もちろん政治体制によっても違うだろう。また、その国で実際に起こった事件に対する議論もあり、興味深い。それはかなり現実味のあるものなのだが、正義の議論としては、その事件をどう処理するかではなく、その議論の背景にどのような考え方があるのか、またそれを解決にするにはどうすればよいのか、という実入りのある話になっていったように見える。
 ただ、最後に用意された、東北大学での討論では、そうでなかった。現実の東日本大震災というものの中で、実際に痛みをもつ人々がそこに集い、その中で正義というものを考えるために、他国における多くの場合のように、「もし〜ということがあったらどう思うか」という話ではなくなってしまうのである。だから、ここでは他国での議論とは毛色が違う。味わい方も違うはずである。
 ただ、サンデル教授のモットーであろうか、「共通善」というものを目指すことは、常に意識されている。また、だからこそ、世界各地での倫理観を確認し、コスモポリタンにおける共通善の想定のために役立てようとしていることでもあるだろう。
 哲学的な話ではあるが、極めて読みやすい。しかし、その場ではどんどん論が進んでいったとうことになり、また、その場で喧嘩同然の戦い方をすることが目的ではないので、意見の対立についてはどちらを勝者にするということなく、対立は対立のまま放置するというあり方で進んでいったのであるが、こうして本として残った以上、私たちは、落ち着いてひとつひとつの問題を深めることもできることになる。そのようにして味わい、また新たな問いを、討論の隙間から見出したとすれば、それは私たちの益になるだろう。思わぬ拾い物をするかもしれない。




Takapan
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