本

『ハンナのあたらしいふく』

ホンとの本

『ハンナのあたらしいふく』
イツァク・シュヴァイゲル・ダミエル作
オラ・アイタン絵
小風さち訳
福音館書店
\1100+
1998.4.

 珍しく絵本を取り上げる。実は絵本もたくさん見ている。それを一つひとつ取り上げたらきりがないほどに、絵本を愛している。
 今回、松居直氏の勧めたものを実際に読んだとき、いろいろ思いが駆けめぐったので、ひとつ形にしてみようと考えた。実際、この方の勧めた絵本や児童文学書には、間違いがない。その本から、私はどれほど読書の幅を拡げたことだろうか。そして、どの本にも満足するのである。
 薄い絵本であり、小さな子どもでも緊張を保ちながら聞いてくれるだろうと思う。
 そして、整いすぎない絵が、想像の翼をひろげるように仕向けてくれる。
 青い静かな表紙もまた、物語の場面とその落ち着きを呈しているし、女の子が真っ白な服を着ているのも、物語の象徴として申し分ない。どうしてこんなに簡単な絵が、心を惹くのだろうと、いまさらながら不思議に思う。
 絵本を読み聞かせるときには、よけいな説明をしないのが原則である。本文を淡々と読むしかないと私も思う。但しこの本の場合には、一つだけ、物語を始める前に、説明をしておいたほうがよいと思う。実は物語の最初の頁に、その注釈が小さな文字で書かれてある。
 サバス……金曜日の日没から土曜日の日没まで、ユダヤの人たちは仕事をやすみ、神さまのことをおもいながらすごします。これを「安息日(サバス)」といいます。
 英語読みのためこう書かれているが、私たちはしばしば「サバト」と呼ぶ。聖書を知るひとにはおなじみの安息日である。この日は仕事をしない。してはいけない。そのため、このハンナは、着るものに楽しみを与えられていたのだ。まっしろい服が、うれしくてならなかった。
 安息日が夕暮れから始まることが最初のところから明らかになる。ハンナはとてもうれしそうです。いろいろなポーズをとりながら、女の子が服をとてもとても喜んでいる様子が描かれます。女の子であれば、きっとめちゃくちゃその気持ちが分かることでしょう。
 ハンナはうれしくて、動物たちに服を見せに行きます。しかし、犬に見せて喜びますが、犬もうれしくなってとびつこうとしてくるのを制します。「ふくがよごれるでしょ」と。
 そうしたことの後、ハンナは森から出てきたおじいさんに出会います。
 重い荷物を背負っているおじいさんにも、服を自慢します。おじいさんは、日が暮れて安息日になる前に、荷物を運び終えなければなりません。重そうなおじいさんを、ハンナを手伝おうとします。楽しくお喋りをしながらハンナは後から袋を支えて歩き続けました。
 ハンナはうれしそうに家に帰ります。が、気づきます。おじいさんの運んでいた黒い炭が、ハンナの真っ白な服を汚してしまっているではありませんか。
 ハンナは泣きます。日が暮れても泣いていました。そんなハンナに、空に現れた月が話しかけます。なにを泣いているんだい?、と。
 ハンナはわけを説明します。月は、ハンナに尋ねます。「おじいさんの手伝いをしなきゃよかったと思うかね?」
 ここからはよいところなので、本当は書きたくないのがが、この絵本を手許に置けない方もいらっしゃるだろうから、記すことにする。
 ハンナは、月にそうじゃないと答えます。ただ、かあさんの縫ったくれた服が汚れたことだけが悲しいというのです。月は、心配はいらないから早く家に帰るように促します。歩き始めたハンナに月はついてきます。月は光をハンナの服に触れさせます。すると、ハンナの服がきらきら光り始めました。
 家に帰ったハンナは、お母さんにこれまでの出来事を話します。部屋の中は光であふれ、ハンナのサバスの服が輝いていました、と語って、絵本は終わる。
 松居直さんが書いていた。炭の汚れがとれたとか消えたとかは、どこにも書いていない、と。聞く子どもたちが、そのように受け取っても、もちろんよい。だが中には気づく子もいるかもしれない。汚れは落ちていなかったのかもしれない、と。
 私も、もう野暮な解説はしないようにしよう。サバスが始まった。そこには光があり、輝きがあった。それでよいのだ。クリスチャンにとり、主日の礼拝はこのサバスを受け継いでいるのである。




Takapan
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