本

『ガリラヤからローマへ』

ホンとの本

『ガリラヤからローマへ』
松本宣郎
山川出版社
\2621+
1994.1.

 文句を言うつもりではないが、講談社学術文庫の新刊の中には、昔の単行本がまだ買えるという場合が少なくない。学術文庫の新刊案内で気持ちが惹かれたが、案の定単行本が出回っている。文庫の発売前に、それを取り寄せた。
 力作である。私が読んだ時点で30年前の発行であり、時事問題に触れた「あとがき」の内容はずいぶん昔だというふうに読めるが、肝腎のローマ帝国の話は少しも古びていない。むしろ、キリスト教関係者がなかなか真正面から向き合って扱うことのない、しかし重要な生活感覚をたっぷりと提供してくれている。山川出版社という、歴史の雄がこれを出したというのも肯ける。これはひとつの歴史的な探究の成果だ、と見てよいと思う。
 学説をいろいろと取り上げて、それを検討する、という系統のものではない。歴史的な資料を駆使しながらも、サブタイトルにあるように、「地中海世界をかえたキリスト教」という角度から、歴史を見つめ、読者に時間旅行を与えてくれる本である。
 それは、聖書の解釈という、信徒にとっては重要なテーマにもつながっている。新約聖書は、歴史の中で書かれた。それを現代人が読み、自分の立場で読み解くことが、もちろん悪いわけではない。しかし、あまりにも自分本位で意味を理解するばかりか、書かれた古代の時代においてもこういう意味だったのだろう、と推定していくことについては、ブレーキをかけなければならないだろう。
 当時の生活や政治、そして文化などの常識というものがある。その時の人々は、もちろん相対的に自分たちの生活を眺めていたわけではない。その環境に生まれ落ちて、それを教育され、生活の中で痛みも喜びも受け取りながら、文化環境に染まって精一杯生きていたのである。新約聖書も、そういった生活世界の中で記されたのであり、抽象的な道徳や教えを説いた本であるわけがない。その生きた歴史の中で発された言葉から成る新約聖書を読むときに、その歴史の実際を知ることが、無駄であるはずがない。
 本書は、イエスの誕生に始まり、パウロの伝道、それから迫害の現実へと筆を進める。しばしば説教で一口ちょろりと触れられるように、キリスト教徒が迫害に耐えて云々、という件だけだと、さも一から十までいじめられていたような印象を与えかねない。実際、キリスト教の入門書には、例外なくそのように書かれている。だが、新約聖書執筆時代に大規模な迫害は起こっていない。ネロ期の異常な出来事はあったが、キリスト教徒は、市民に気味悪がられる一面はあったものの、いわゆる「迫害」というものはなかった、と本書は注意を促す。イメージ先行なのだ。実際どのような市民生活をしていたのか、それは、綿密に調べてみた人でないと、見えてこない。被害者意識の塊になってはならないのだ。使徒言行録の記述をそのままに読んでいても、酷い迫害とまでは言えそうにないのに、どうやら思い込みが混じっているようなのだ。また、その中で弱い者が信仰に導かれた、というふうに思い込んでしまうかもしれないが、冷静に読み解いてゆくと、そういうふうでもないらしい。奴隷の身分で信仰者になるのは、かなりハードルが高かったであろうことも、本書は資料と生活記録から推測する。
 いったいキリスト教徒とは何だったのか。どのような生活をし、信仰を持っていたのか。もちんそれは個人毎に異なるものだろう。しかし、まとまりかけた教会共同体の中で、どうしてあのような教えがもたらされ、励まし合っていたのかなど、当時の生活環境を、背景のローマ帝国の社会を知ることによって、私たちの思い込みが修正されることは、十分あり得ることではないだろうか。
 そのためにも、ローマ帝国の支配下に於ける人々の生活や常識というものについて、もっと情報が与えられてもよいはずだ。どうやら都市を中心に伝えられていったキリスト教の福音だが、都市の様子はどうだったのか。貧富の問題はどうだったのか。奴隷は信仰に導かれたのかどうか、その奴隷の立場というものについても光を当てる。あるいはまた、社会一般において、キリスト教徒とはどのようなイメージで見られていたのか。そのようなことを説いてゆく本書は、読んでいて実に楽しい。
 ことに、教会がわざわざ持ち出さない話題、「性」ということについて、かなり厚みのある叙述を展開していることには、注目が集まるはずだ。ローマ文化の常識はどうだったのか。それはギリシア文化からの延長もある。ギリシアではよく知られているように、男の同性愛は当たり前だった。それはむしろ教養人として必要だった、とも考えられている。それがローマではどうだったのか。もちろん、ローマ帝国の歴史は長い。長いから、移り変わりもある。一概にこうだ、と決めることはできない。だから、ローマ帝国の中でも、性の扱いについては、変化がある。それもまた、著者は追いかける。そしてキリスト教が関わった時代にはどうであったか、またそこにキリスト教が拡がってゆくときに、どのような変化をさらにもたらすのか、これを問うて発言してゆく。それはもちろん、仮説にすぎないとも言えよう。だが、推測は推測で面白い。推測だと分かるようにきちんと書いてあるから、読者も妙な思い込みはしないだろうと思う。
 最後に、魔術師の問題が取り上げられている。魔術師エリマなども実際聖書には登場するが、イエスの奇蹟や癒やしもまた、当時は魔術のように見られていたのではないか、という当然起こる疑問に対して、検討を加えてゆく。世の中から危険視されたり、気味悪く見られたりしていたキリスト教徒の噂の中に、そのような魔術や奇行があったのは、仕方があるまい。実際、魔術師イエスという観点からキリスト教を見ると、どういう社会であったのか、検討の余地があるのは確かであろう。
 ローマ帝国が実質すべてである。ただ、「古代地中海世界」という見方で、著者は大きく世界を捉える。キリスト教は、そこで生まれ、拡がった。たんにユダヤ文化の内部だけでいろいろ捉えられていた従来の視点のほかに、地中海世界を想定してそこから見つめたということの意義は大きい。もはやこの場での紹介では、本書の内容は挙げることができなかったが、これは聖書を味わうとき、またその後のキリスト教の歴史について考えるとき、手許に置いておくべき一冊ではないか、と強く思う。もちろん、新たな文庫でもいい。入手しやすいだろう。数少ないが、時折図版も垣間見える。文化理解のためだというのももちろんだが、聖書の理解のためにも、優れた本ではないかと考えている。




Takapan
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