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『現代思想2022vol.50-4 特集・危機の時代の教育』

ホンとの本

『現代思想2022vol.50-4 特集・危機の時代の教育』
青土社
\1500+
2022.4.

 時折、教育を特集する。1冊読み終わるのに一か月かかるのが私の読み方だから、毎月買うとしんどいし、よほど関心あるものでないと手を出さない。それで、今回手を出した。教育が危機状態だというのは、煽るつもりはないが、確かに警告しなければならないことである。
 いろいろ世の中で問題視されていることが中心にあって、それで読者に買う気を起こさせようとするのは、販売戦略からして当然のことである。けれども私はそうした点で手を出しはしない。
 冒頭の、異文化への窓を開くというタイトルで、鳥飼玖美子さんが対談しているのは、いくらか手の内を知っているだけに、すらすらと読めた。英語教育が話題であるが、息子が大学に入り英語で鍛えられているだけに、私の個人的な関心も大きかったのである。自分でも子どもたちに英語の授業をすることがある。英語教育の、もはや少し遅れた時代のところにしがみついているのがよく分かった。文科省が相当に揺らいでいるのはよく分かるし、それというのも、隠れた狙いがあけすけに分かるからでもあるが、政治的な意図と教育そのものとは、やはりズレがあるものだ。
 その英語教育と政治との関係については、江利川春雄氏の「官邸主導の英語教育政策」が具体的でよかった。
 目を国語に向けると、その次の佐藤泉氏の「私たちはこんな未来を夢見ただろうか」が、国語教育の戦後史として実にコンパクトに、興味深くまとめられていた。
 どの人の評も、もちろんぴりりと辛い。しかし、学生にはむしろ賃金を払って学んでもらったらどうだというような角度の声は、なかなか思い切ったものだと思った。実際の学生の質を考えると、それはとんでもない話なのだが、とにかく大学に金がかかるということをなくすことができたら、優秀な人材のための大学となるであろうことははっきりしている。もはやかつての大学とは違うのだ。否、大学生というものが違いすぎるということなのだろう。変わった大学生像を抱える中で、大学が戸惑い、学問のため、官学の役割のため、どう改革していけばよいのか模索している中であるような気もする。
 性的な教育は、いまやLGBTQとさえ言っておけば免罪符になるかのような勢いがあるが、その中で「性のグラデーション」による理解が最近広まってきた。性はきれいに二分するものではないということで、NHKの紅白歌合戦が最近紅白をそのようなグラデーションで示していたのは特徴的だった。だが、そこに落とし穴があるという指摘は、ドキリとさせる。しかも三つも。
 教員労働の問題も、重要である。これは悲惨でもあるが、残業が残業として認められない特別法があることも、ようやく巷に知られるようになってきたが、いつぞやの「聖職」という縛りが、まるでいまも生きていたのかと驚くばかりである。裁判になったときに、校長がなんとのらりくらりとかわそうとしているか、それまで暴く論文も掲載されている。
 原発災害の場での教育の姿は、読むだけで苦しくなってくる。
 最後に、プログラミング教育と論理の話が並ぶ。論理国語などというものも始まることになるが、そもそも大人も、論理など考えていない。分かったつもりになっているが、論理学の「ろ」の字もかじったことがない人が殆どだ。私は思うに、「哲学」を学ばねばならない。フランスをひとつのモデルにするとよい。日本には「哲学」を教育の場で学ぶ機会がない。ようやく高校の「倫理」で、哲学者と著作を暗記させるものはある。だが、そんなものは「哲学」ではない。知識ではない。哲学である。当然、そこには論理も入ってくる。文の読解能力は当然必要とされる。表現能力も発揮せねばやっていけない。いま日本政府が教育の現場に実現したい要素の、根本的なところがいやというほど叶えられルでは亡いか。
 英語の単語や会話も、日本語によるこの「哲学」による議論がなければ、使い道がない。ファストフード店で買物をするために英語を学んでいるのではない。「哲学」の思考で異文化への理解を踏まえておくことでこそ、英語の学びも変わってくるだろう。テクニックのためだけの4技能ではないのだ。その背後に「哲学」がなければ意味がないのである。
 そのように考えることでこそ、教育の危機は解決しない。付け焼き刃出会ってはならない。根本的な「考え方」の転換が必要なのである。
 本書に、そこを見通す人や、そういう地平を見ようと努めている人は、いただろうか。山本貴光氏の「試行錯誤のすすめ」が、そこに足を突っ込んでいたとは思う。これは実際の教育現場における指導に関わるものだったが、失敗の経験の大切さ、根柢にあるべき「想像力」、そして自己を適切に見る眼差しといったものこそが必要であるものとしていた。特にこの「想像力」は、決定的に欠落している社会である。それは、「哲学」の無さによる。
 もし現代思想の関係の方の目に留ったら、と願う。多くの現場で明らかになっている困難の解決のために、そして政府からは見えない世界を指摘するために、「哲学」こそが、役立つ時がいま来ようとしているのである。




Takapan
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