本

『ゲーテ名詩選』

ホンとの本

『ゲーテ名詩選』
森泉朋子編訳
鳥影社
\3200+
2025.6.

 なかなかボリュームがある。本編が280頁、後ろから100頁が、少々の索引と図版一覧の他は、本書で紹介されたゲーテの原詩である。
 読み応えがある。これは、ただ詩が訳されて並べられているという、ありがちな「名詩選」とは違う。ゲーテの生涯が、16歳から晩年まで語られるのである。青年ゲーテは、「父親の命令にしたがって法律を学ぶかたわら、文学の講義を聞き、芸術を学び、詩を書き始める」というところから、詩人としてのゲーテの歩みが始まるのだ。
 その語ゲーテは、20歳からの何年かを、いわゆる「シュトゥルム・ウント・ドラングの時代」として過ごす。移り住む各地で、新しい若い恋人への恋愛を募らせ、その思いを言葉に綴る。その情熱の凄さというのを、本書の訳はたいへんうまく表しているように思った。訳についてどうのこうのと評するような才覚は私にはないが、いろいろな女性に恋心を抱き、それをストレートに詩にしてゆく、という経験は、実は私自身の若い時期のあり方そのものなのだ。時に「心のふるさと」と称したある女性には幾度となく心が戻ってくるのであるが、その都度現れた人に、全力で向いてゆくという気持ちは、ゲーテと比するのもおかしいが、どこか分かるような気がするのだ。私はそれを、確かに「詩」という形にしていた。正確に言うと、「詞」である。覚えたギターを使い、作詞作曲を続けていたのだ。高校の最初の年までに、詞は千を超えた。曲は全部とはいかなかったが、半分以上はつけたのではないだろうか。
 繰り返すが、ゲーテになぞらえるのは非常にバカみたいな自惚れに過ぎない。しかし、沸き立つような情熱については、共感できるような気がする、ということだ。  その後本書は、「ヴァイマル初期」「古典期」から「西東詩集」というおとなの時期を過ぎて、「晩年期」へと進んでゆく。そして最後には、『ファウスト』にも触れながら幕を閉じる。
 ゲーテの伝記を示そうとしたわけではない。ただ、ゲーテの詩について、その詩の背景を少しでも伝えたい、という思いを、この訳者は有しているようである。そのことは、「あとがき」に記されていた。詩は詩として、独立した作品であり、読者が如何様にも解釈してよい、という考え方もあるだろう。だが、それは読者の方で考えればよいことなのであって、ゲーテの原詩が、ゲーテのどういう情況で、あるいはまた誰に対するどのような思いを背景にして生まれたものであるか、それを「知っていた方が理解の助けになることが確かにあります」とという考えの基に、解説がなされているのである。もちろん、「自由に想像しながら読むという楽しみ方」も認めているわけで、本書は内容的にも鑑賞の点に於いても、厚みのあるつくりとなっていると言えるだろう。
 この「あとがき」の終わりに、「ひとつのたとえ」という詩が紹介されている。「ゲーテの詩の訳を志す者なら、必ずだれもが心の励みとするに違いない」詩であるという。なにげない摘んだ花の有様を書いただけのものだが、私もこの最後の最後にこれに触れ、励まされた。ひとを励まし、助け起こすというのは、なんとうれしいものだろう。なんとありがたいものだろう。もちろん、その詩をここでばらしてしまうような無粋な真似は、私はしないつもりである。どうかこの名詩選を苦労して訳した訳者の思いを十分味わった上で、最後にお読み戴きたい。それだけの時間に浸った上でこそ、よりしみじみと味わえるのではないか、と思うからだ。


    ひとつのたとえ

  この間 ぼくは牧場で花を摘み その花束を
  大事に家へ持って帰った、
  ……




Takapan
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