『ガザ、戦火の人道医療援助』
萩原健
集英社
\2000+
2025.4.
イスラエルからガザへ、攻撃が続く。2023年12月1日に、一時的な戦闘休止の合意を破り、イスラエルが戦闘を再開した。イスラエル軍は、ガザ地区をブロックに分け、どこを攻撃するかを指定した後、そこから非難さえすれば、人的被害は出さないという人道的配慮をする建前を世界に示すようにしてきた。
聖書時代からの因縁をもつ、イスラエルとパレスチナの争いは、1900年ぶりに復活したイスラエル国の歴史と成立など、複雑な事情を絡めながら、度々争いを示していたが、まるでウクライナへのロシアの攻撃を見倣うかのように、ガザへの攻撃を活発化させたのだった。
ガザ地区を支配する、パレスチナ武装組織ハマスがイスラエルを攻撃した10月のことに対して頭にきたイスラエルが、報復措置をとったというのが形式ではあるが、その後の執拗なイスラエルの攻撃は、世界的に、ガザ地区の人々を援助しようという空気が高まっている。
本書は、2024年8月から9月に、ガザで経験したことをレポートしたものである。著者の肩書きは、「国境なき医師団」の「緊急対応コーディネーター」であるという。医療従事者である妻は、この団体に微々たる額だが協力したことがある。「国境なき医師団」は本書ではしばしば「MSF」と略す。誤解されやすいが、人権擁護団体ではない。医療援助を本質とする。ただ、「人道」という言葉を、活動の内容と目的からして、付けることはあるという。著者本人は、医療従事者とは呼べない。だから、医療そのものというよりは、「人道」という視点を大切にしながら、経験してきたことを、こうしてレポートしたいのであるという。
その具体的な足取りについては、ぜひ本書を参照願いたい。最初に地図も設けられているし、時折写真も載せ、資料性の高いものについては出典もその頁に分かるように記されている。ガザの地へ向かい、ガザで見たこと聞いたことを記す。あるいはその背景についても、実に細かく説明してくれるので、当地の事情のみならず、背景についても、現場で知ることを含めて、丁寧に綴っている。外から眺めているのではない理解が、実に痛々しく、だが心を締め付けられるように響いてくる。
停戦の知らせがあるとかないとか、世界の遠い場所の私たちからすれば、ただ待てばよいとでも思うかもしれないが、当地においては、その数時間の間に、命を落とす人々もいるのであるし、自分の一時間後がどうなっているかも全く分からないのである。神に委ねるという言葉が適切であるか分からないが、正にそれを生きている日々であり時間なのである。
攻撃さえなければ、安心だ、などと思うことは許されない。物資が届かない。真綿で首を絞められるように、身体的苦痛と精神的苦痛とに苛まれる。特に読んでいて辛いのは、子どもたちのことだ。食糧にも事欠くというのは子どもに影響がまず出るものだが、予防接種が不可能になり、弱った体力の中で、感染症その他、病気という敵が命を奪ってゆく。なにも爆弾が落ちなければ安心というわけではないのだ。その子どもたちを見つめる著者の眼差しは、感傷的になる暇もなく、私たちに現実を突きつけてくる。きっと心に涙を流しながら、綴っていたことだろう。しかし、冷静に事実を書いてゆく。私たちも、目を背けずにそれを比した。読まねばならない。
本書の「終章」で、そうしたレポートから離れ、著者の見解らしいものが、溢れるように書かれていることを、ぜひお見逃しのないように願いたい。
イスラエルを非難する声が多々ある。だが、安全なところから正義の味方よろしくそのように批評することに、どれだけの意味があるのか。むしろ有害ではないのか。著者は言う。「今、起きていることを止める、または打開するために、互いの正義をぶつけることには何の意味もないということを、我々は知る必要があると思う。」(p229)「人類は過去の経験から学び、法や制度といった人間世界の仕組みとルールを築いてきた。そこには人間の理性を信じるという基本的な期待があったのだと思う。しかし今、パレスチナという場所で起きていることは、そんな期待を完全に裏切るようになものではないだろうか。」(p229)
何もできない弱い力ではある。だが、「人道という言葉を口にして活動をする自分だからこそ言える、いや会わなければならないことがある」(p230)のだという。「イスラエルが正当性を主張する理屈は、自分たちの生存権を守るためには他人の尊厳を犠牲にしてもよいというものであり、そこに人道という観念が入る余地などないように僕には思える。」(p232)「そして、1年以上もの間そのような状況を許してきた世界の国々のリーダーは、改めて人道とは何か、人間の尊厳とは何かを問われなければならない。政治家だけではない。この世界で生きる僕を含めた人類は、今、試されている。」(p232)
なんとか、この声を広められないだろうか。私もまた、この声を聞いて、何かを始められないだろうか。まず祈るが、その先に、何か。

た
か
ぱ
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イ
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