本

『福岡のトリセツ』

ホンとの本

『福岡のトリセツ』
昭文社
\1400+
2020.2.

 昭文社。地図の会社である。だから表紙からして、福岡県の地図である。ぱっと見たときに昭文社のマップだと思わせるくらい、その地図は私たちの生活に浸透していると言えるだろう。「地図で読み解く初耳秘話」という、けっこう目立つサブタイトルであるが、各種地図の図版がそのまま昭文社の地図を使用しているという程度のアピールがあるけれども、大部分は文章と資料や写真である。まあ、地図の採用に関しては会社のものがそのままに使えるので苦労はしないはずだが、さて、どれほど宣伝になるかどうかは微妙であろうか。全編カラーで資料性も高く、偶数頁で一項目となっているため、見出しがいつも左頁の上にきていて、何かぱらぱらめくって探すときには都合がよい。目立たないがよい配慮だと思う。
 こういう訳で、本書はビジュアルにたいへん力を注いでいるはずなのだが、もちろん文章も味わいが深いし、よく調べてある。福岡に住む者としては、知っていることが当然多いのだが、必ずしも全部知っていたということもない。読んで楽しいし、資料としても優れていたので、福岡県民は手にして損はないと思う。
 全体は大きく4つの観点から章立てされており、まずは純粋に地理的なことに関わるところから入る。カルスト台地は、山口ほどではないので他地域には知られていないが、平尾台はなかなかのものである。筑後川水域は広大な平野で米どころ、酒どころとなっていま。カブトガニも知る人ぞ知る、生きた化石の生息域がある。
 次は、交通網。これは地図会社らしい観点だ。唯一本州を拠点としない電車とバスの巨大な組織、西鉄が紹介される。バスの保有台数が全国一だとは知らなかった。雁ノ巣飛行場は今の人は知らないだろうし、石炭運搬のための国鉄路線などから産業史を改めて思うことになる。
 そして、福岡を舞台とした様々な歴史が振り返られる。板付遺跡となるともう文明期だが、さらに古い文化もあった。中国・朝鮮に近いために、大陸文化がまず福岡に入ってきたのだ。奴国についてはもっと広く知られてよいと思うのだが、邪馬台国という謎の国ばかりが騒がれて、もっと確実な奴国や伊都国などは知られてよいし、そこからはあの金印の謎も関わってくる。そしてなんと言っても神宿る島としての沖ノ島から大島、宗像にかけてのつながりがようやく世界遺産となって注目されてきた。沖ノ島こそ、古い文化をいまに伝える恐ろしいほどの生きた過去なのである。
 最近は令和ブームで太宰府も改めて認知されたが、鴻臚館発見のために西鉄ライオンズの本拠地、平和台球場は解体されることとなった。その後博多の町の栄えばかりが目立つかもしれないが、蒙古襲来の元寇防塁はいまに遺る歴史の証言であり、足利尊氏や豊臣秀吉など、博多を舞台に活動した歴史的人物も数えられる。江戸時代になると、福岡城も実はよく分かっていないところが多いというが、朝鮮使節との関係で近年はっきりしたのが、相島である。ここはいまや、猫島として有名になった。私も何度か行ったが、この朝鮮使節の遭難碑を直に訪ねもした。
 近代となると、なんといっても石炭と鉄鋼による産業の発展を支えた福岡である。石炭については日本一の生産を筑豊などの炭田が担った。筑前と豊前からの筑豊という名前だけでも、歴史の中で果たした役割を改めて思う次第である。外の人には知られていないかもしれないが、福岡市と博多市とどちらの名称にするか、明治時代にたいへんな騒ぎがあった。いや、そもそも福岡と博多とはどう違うかさえ、ご存じないかもしれない。福岡は黒田に由来する元備前の土地の名に由来し、博多は古来の土地の名である。
 最後の章は、産業や文化だが、博多の三大祭りである、どんたく・博多祇園山笠(やまかさ)・放生会(ほうじょうや)が紹介される。書かれてはいないが、「休日」を表すオランダ語からそのままとった「どんたく」は、元は博多松囃子から始まったといわれるが、いまでは宗教的な意味をもたない祭りとなり、クリスチャンも安心して楽しめる市民の祭りとなっている。醤油メーカーが一番多い県だといわれているが、一般に言われるように、福岡の醤油は「甘い」。その背景がよく説明されている。贅沢品だった砂糖がふんだんに使える環境にあったことや、あまり魚が新鮮すぎることも関係しているのだという。それから銘菓「ひよ子」。いまや東京のお菓子だと信じているとんでもない人が増えてきているなどというが、筑豊の炭坑夫たちの求める甘い饅頭は紛れもなく福岡の産物である。ただ私も、千鳥饅頭がそれより200年も昔、江戸時代初めからあったほどに時代が違うことと、佐賀で始まったということについては無知だった。そしてお茶とくれば静岡や京都が頭に浮かぶ方が多いかもしれないが、八女茶は玉露の品評会では抜群の存在なのである。
 番外のようにして、福岡にまつわる映画やドラマ、マンガなどについて触れられているが、これはほんの一部でしかないような気がする。ここはさらに展開される余地があるだろうから、本書についてはこの欄を期待しなくてよいだろうと思う。頁の関係か取材力の関係なのか、はたまた地図会社という意味での手薄さなのか、ここはやむを得ない領域だとしておこう。
 福岡の魅力満載の一冊は、ちょっとした地元通になるための、よい教科書であるかもしれない。とにかくカラーで見やすく、記事もまとまっている。地図での場所の確認も鮮やかであることこの上ない。タイトル通り「初耳」ではないことも当然多いが、スポーツや芸能などについて全く触れられていないことを除けば、なかなか味わい深い本ではないかと感じた。




Takapan
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