本

『福田正俊著作集U 神学論文集』

ホンとの本

『福田正俊著作集U 神学論文集』
新教出版社
\3883+
1994.1.

 すでに著作集Tについては記しているため、著者についての説明は割愛する。
 Tは説教集であったが、Uは、神学論文集というタイトルで、集められた一冊となっている。ただ、その巻末の「解題」には、編集者が福田先生を訪ねたときに、その神学について語られたことがあるとして、分かりやすく並べられているので、まずそこからお伝えしようかと思う。
 まずは、「信仰と理性との問題」、それから「「生きる」という問題」、そして「啓示による信仰」、これらがテーマであったということである。しかし、これらのテーマを分類して配置しようとすることは困難であったために、著作の発表順に並べることで落ち着かせたというのである。時期的に大きく三つに分けて、福田牧師のそのときの在りようと重ねながら、解説している。この辺りは、傍にいた人ならではのものであろう。
 その生涯の中で、日本基督教団の設立は、実に大きな出来事であったとされている。1941年、教会は国家により合同を強いられた。そして、太平洋戦争が開始された。私たちはこの歴史を忘れてはならない。ただ、戦後この強制は解かれたのであったが、福田牧師の信濃町教会は、敢えてこの教団に残ることを選択した。
 確かに、国家主導で合同に簡単に従ったことは、悔い改めの因となったであろう。だが、「真の合同」に近づくための再出発として、戦後の機会を活かしたというのである。
 論文のテーマを並べてみよう。戦前と戦後直後にかけての時期には、「福音的教会の本質」がまず掲げられる。決して戦争主導の国家を基準に置かず、聖書を見つめる著者の心意気が伝わってくる。それから「カール・バルトの神学のキリスト論的基調について」と「説教の本質」と題したものが並び、カール・バルトを読み込んだ学びのうちから、違うテーマで二つの論文が挙げられている。
 また、「聖書における「現実なもの」」と「恩寵の秩序」とで、一つのことに的を絞った深い考察が示される。
 次は戦後から1973年という範囲で集められたまとまりである。「聖餐論争」は、教義に関わるデリケートな問題であるが、現在を見据えつつ藻、宗教改革当時の議論を追究するものとして、プロテスタントの誰もが参考にできる歴史を学ぶことができることだろう。
 比較的短いが、「勝利者・イエス」「仕える教会」「世のためにある教会――伝道ということ――」と、一つひとつの話題について触れ、さらにカルヴァン生誕四百五十年記念として「より大いなる栄光のために」が書かれ、「聖霊のはたらき」という小品が置かれた後、「福音書のイエス・キリスト」と題して、イエスの生涯を福音書の中に順に追いかける試みが、50頁にわたり展開されている。また、信濃町教会の創立者である「高倉徳太郎の信仰と思想」がまとめられ、「神の国とその希望」と題した、終末論についての議論が並べられている。
 最後に、その後の時期のものとして、牧師職を辞した後のものが置かれる。「聖書と聖書学とキリスト論の問題」には、時間をかけてかなり突っ込んだ探究が示されているように見える。「神を信じ、知ること」は、信仰の側面が強いが、「人間を生かす力」としての聖書を強調するなど、私のモットーとつながるものを覚えた。「ルターにおける「信仰のみ」の意味について」はルターに徹した論文で、「現代における信仰」は、大学のチャペルで1979年に語られたものだが、学生相手に、平易に、だが情熱を以て、聖書と信仰を託す願いがこめられているように見えた。
 さらに「教会と国家」は、ローマ書13章から、当時の国家観を踏まえ、また日本基督教団の経緯や戦争の体験を基に、現実の大切な視点を提供するものと見ることができるのではないか。「日本基督教団試論」は、こうした思いの集約のようにして、教団としての、そして大きな視点に於ける教会というものについての思いが詰まった力作であるように見えた。1989年の筆であるが、果たしてその後、私たちは、その声をどう聴いているのだろうか。顧みなければならない大切な論文であると言えるかもしれない。
 堅い口調で綴られた一冊であるが、だからこそ人の顔色に拘わらず、ご自身の主張をなんとか伝えようと懸命になっている様子が伝わってくる。説教もまた人を生かす神の言葉であるが、ここには、神の言葉を真に教会と社会へ取り次ごうとする信仰の生き方が反映されている、とも言える。私たちは、心して、こうした先人の言葉を噛みしめたいものである。




Takapan
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