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『フランク・オコナー短篇集』

ホンとの本

『フランク・オコナー短篇集』
フランク・オコナー
阿部公彦訳
岩波文庫
\900+
2008.9.

 帯に、「他では読めない」との言葉が見え、「2019年 夏の一括重版」だという触れ込みがある。味わい甲斐のある作品を、幾度でも人の目に触れるように続けて出版してくれるというのは、ありがたいし、望ましいと思う。v  しかし実際、本書を私が読むことになったのには、ひとつの失策がある。ある人の薦めがあって、フラナリー・オコナーの本を読みたいと思ったのだ。検索すると、フランク・オコナーという人もいる。これは別人かしら、と思いつつ開いてみると、短編が優れているとあり、また、生没年がフラナリー・オコナーと同じだったのだ。これは同一人物に違いない、と注文した。ただ、これは私の見間違いであったことが、後で分かった。気づいたのは、届いてからだった。
 では、それならそれで読んでみよう、と思った。すると、最初の作品で、ちょっと心惹かれた。こうして、めでたく全部を読んでいくこととなったのである。
 こちらのフランク・オコナーは、村上春樹が「フランク・オコナー国際短編賞」を受賞した(2006年)ので、どこかで聞いていたのだとも思う。やはり短編の名手である。20世紀の初めに生まれ、文学に目覚めたが、当時流行のなかなか思い切った風潮とは違い、落ち着いた執筆で通した人であるらしい。確かに、特別なトリックがあるわけでもないし、オチを求めているようでもない。描写は、絵に描いたように鮮やかであり、会話も生き生きとしている。こちらも落ち着いて読めるのである。
 もちろん、時代の空気というものも感じさせることがある。アイルランド出身の作家であることなど、日本人からすればイギリスと同じようにしか考えないかもしれないが、政治的には実に不安定で、不幸な事件も多々起こっている。緊張感が私たちの社会とはまるで違うのだ。「国賓」のように、戦場と捕虜との息詰まるような展開もあるし、「ジャンボの妻」のように、スパイの扱いがハラハラさせる中で語られるものもある。また、「花輪」のように、宗教的な背景での心の対立のようなものも描かれる。しかしそれは、結局ひとつの赦しの方へと導かれていくことになる。それにもあるが、懺悔という形で、私たちは心の中の闇をどう克服していくのか、問われることになるだろう。
 家庭内の人間関係、曰くのある女との出会い、一つひとつの物語に、新鮮な情況設定を覚える。だから、雰囲気が同じだな、と厭きるようなことはないのではないか。私が最初に見た「ぼくのエディプス・コンプレックス」はとても分かりやすいもので、少年の心理がぞくぞくするように伝わってきた。解説によると、これは自伝的な作品と言われているそうだ。そうでもないと、これだけのぞくぞくしたものは現れてこないのかもしれない。会話もまた生き生きとしていて、やはりこれから読んだのは正解であったと思う。
 孤独な老人となった男と巡査との、友情にも似た対話の向こうに待っていたものが、それぞれに分かっていたという「法は何にも勝る」は粋だった。個人的に好きだったのは、「あるところに寂しげな家がありまして」というもので、駆け引きでもないだろうが、男と女とのぎこちないやりとりと交わりが、不思議な魅力を呈していた。
 神父に懺悔するということについて知識がないと読みづらいが、「はじめての懺悔」は、少年に対する、とぼけたような神父の粋なはからいが、読後感をほっとしたものにしてくれる。
 ふとした間違いから届いてしまった本ではあったが、よい出会いがあったと思う。神は無駄なことはなさらない。いや、単なる私の勘違いだったか。




Takapan
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