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『フィッツジェラルド短篇集』

ホンとの本

『フィッツジェラルド短篇集』
スコット・フィッツジェラルド
佐伯泰樹訳
岩波文庫
\699+
1992.4.

 グレート・ギャツビーで知られるアメリカの作家・フィッツジェラルドは多作の作家であった。ヘミングウェイという短篇の名手より遙かに多く書いている。だがフィッツジェラルドが亡くなったときは44歳であった。訳者が「解説」で触れているように、その作品のすべてが秀作というわけにはゆかないらしい。つまりは生活のために多作ではあったが、質の劣るものは確かにあるだろうということである。しかし、何もかもがそうなのではなく、人気があったばかりでなく、なるほどアメリカをよく表現し、アメリカの心をよく掴むストーリー展開や結末は、多くの支持をも受け、また質的にも優れた短篇も少なくないのだという。本書にはその中から選りすぐりの6篇が訳者により選ばれている。
 短篇とは言っても、この400頁の中で6篇であるから、ひとつを味わうのにしばらく時間を愉しむことができる。
 グレート・ギャツビーは比較的長い。それを先に読んだ方は、その雰囲気が保たれていることを感じることだろう。アメリカでひとかどの成功を収めた若者たち、生活苦を覚えず、サクセスと共に名誉をも得ながらも、どこか人とのつながりをもつことができない、孤独な一面が表に出てきている人々。基本的に男性目線で、女性には一定の型のようなものがあるように見受けられるが、まだアメリカでさえ女性の社会進出というものが当たり前ではなかった時代、どこかお人形のように、男からの求めを待つ「可愛い」タイプの女性、しかしそれはただの受身でもなく、それでいて何かしら私たち日本人の考える「誠実」とは違ったような意味での生き方の真実を宿しているのうよな生き方が、どこか違和感を漂わせつつ、そこに描かれている。
 恋人がいる女性をも平気で愛する。女性もまた、両方を並行してつきあっていくことがある。タイプは違うが、源氏物語の構造すら感じさせるような、自由な人間関係の中に、やはりこれも源氏物語のように、見えない制約のようなものがそこにあるのかもしれないと思わせるほど、彼らは行き詰まる。不幸な結末のものも少なくない。グレート・ギャツビーもそうだった。自由なようで、また正直なようで、何かしら歯車が合わないのだ。
 本書に収められた作品は、「リッツ・ホテルほどもある超特大のダイヤモンド」「メイ・デイ」「冬の夢」「金持ち階級の青年」「バビロン再訪」「狂った日曜日」の6編。タイトルは、実にストレートなものもあるが、象徴的なものもある。「金持ち階級」というのは原語で「rich」だそうだが、ここには複雑なニュアンスや背景が盛り込まれているため、訳すのには苦労したそうだ。結局人々を唸らせるような訳語には巡りあわず、どこか暫定的にこれで提出したというが、なるほど、アメリカ社会でこの語にこめられた含みというものは、読んで感じてみないと分からないものであろう。
 グレート・ギャツビーには、村上春樹訳のものもある。そして村上春樹は、このようなアメリカの小説を多く翻訳しており、その翻訳調をまた自分の文体としているとも言われる。それは、こうしたタイプのものに触れてみると、なるほど伝わってくるような気がする。淡々と述べる。村上春樹の場合には情景が細かいが、本書の場合には、情景描写は実に少ない。あっという間に場面が変わり、セリフだけで映画のシーンだったらいくつも変わりそうなところも多い。ということは逆に、映画監督は場面を描くのに自分の解釈で自由に制作できるということでもあり、映画化された作品も多いのだそうだ。中には、話が合わずに中断してしまったものもあるが、なるほど映画という商業領域とつながって文学が生まれていくというのも、いまの時代に繋がるものがあると言えるだろう。
 百年前の世界。だが、決して古びていない。日本はようやく、この時代のアメリカに追いついてきたのかもしれない。但し、それが追いつくべき目標であったのかどうか、それは疑問である。




Takapan
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