本

『ファインマンさん 最後の授業』

ホンとの本

『ファインマンさん 最後の授業』
レナード・ムロディナウ
安平文子訳
ちくま学芸文庫
\1000+
2015.9.

 リチャード・フィリップス・ファインマン。アメリカを代表する物理学者出会った。量子の分野でノーベル賞を受けている。とくにユーモラスなエピソードと共に、物理学の教科書を著した点でも、ポピュラーであり、邦訳書も多い。
 本書はそのファインマンによる文章ではない。その弟子ともいえる物理学者、いやもう作家としてよいのかもしれないが、ムロディナウが、ファインマンの晩年に出会って、その死を看取るところまでを綴ったものである。それは思い出ということでもよいが、大学の内部をよくぞ描いたという、生々しい記録のようにもなっている。人間ドラマがあるし、いろいろな読み方ができようかと思う。
 偉大な学者には、突飛な言動をしたというエピソードがつきものである。この著者も、博士の言動に悩まされている。カリフォルニア工科大学、本書内では「カルテク」の名で通して語られるが、そこに著者がやってきて、ファインマン先生と出会う。ぶっきらぼうに教えられるが、物理学に対するその真摯な姿勢に教えられつつ成長する。
 ファインマンが亡くなったのは、1988年である。当時物理学を変えつつあった、いわゆる「ひも理論」が、本書の後半をリードする。それがどのように生まれたのかという学会の、あるいは学者の背景を知らせてくれている。もちろん、読み物としてこれは数式や学的理論を展開するものではない。大学におけるメンバーの会話や対立、葛藤などの人間ドラマが描かれているから、読み手として物理学に対して気負う必要はない。ここにあるのは、人間の物語なのだ。その意味で、書き手は実にうまい。途中で、作家をサブでやってみるなどという話になると、なんてことだと呆れられるシーンがあるが、確かにそうだろう。ファインマン先生も、君には才能があるのに、と厳しい指摘をするのだが、それでも筆者は、悩みつつも自分にできることを見出して行く。
 ファインマン先生は、当初から癌を煩っていた。それを見越してのおつきあいではあったのだが、後半で、筆者自身も癌の疑いをもたれることになる。確かにそれは深刻なシーンであるのだが、癌の部位がまた特別で、またそれを宣告する医師の様子も非常にユーモラスに描いてあり、それに本人の反応も文学的に記されていて、言っては悪いかもしれないが、思わず笑ってしまう。そこは直に読んで笑って戴きたいので、ネタバレはここに示さないことにする。
 結局この癌の疑いは晴れるので、そこはある意味ハッピーエンドとなる。
 しかしファインマン先生の癌の進行は、穏やかながら確実であったので、最後には亡くなる。もっとその亡くなるところの様子は感情たっぷりに描かれるのかと思っていたが、それまでの付き合いとは異なり、驚くほどあっさりと済ませてしまう。それがアメリカンスタイルなのだろうか。日本人だったら、この亡くなるところに時間をかけて描いたのではないか。それとも、本書が描きたかったのはまさに人間ドラマであって、人と人との絡み合い、しかも人類最高の知恵として世界を変えるような物理学の最前線を舞台としているために、そここそ読者に見せたかったというだけのことなのだろうか。
 ひも理論には反対していたファインマン先生が、晩年にはそれを受け容れ、むしろ進んでそれを宣伝しているかのようなところには、やはりこの先生の温かみのようなものがじんわりと伝わってきて、風変わりな色合いの強かった前半が、ぐっと読者の心を引き寄せるような効果をもたらしているのは、筆者の腕前なのかもしれない。
 巻末の文庫版の解説で、本書の、あるいはファインマン先生のポイントを三つ挙げているのが印象深い。すなわち、想像力・好奇心・自己本位、この三つである。そこに自由があり、命の輝きがある。私たちもまた、爽やかな風を受けて、前を向こうという気持ちにさせられる。こういう本が、やはりいい。




Takapan
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