本

『ヨーロッパ思想入門』

ホンとの本

『ヨーロッパ思想入門』
岩田靖夫
岩波ジュニア新書441
\861
2003.7.

 岩波ジュニア新書というから、高校生あるいは中学生のための新書だという理解ができるはずなのだが、いつもながら、大人がこれを読めば、まず殆ど全部理解することができるだろうし、内容的にも決してちゃちなものではないから、読書のし甲斐があるものだ、と私は常々言ってきた。読んでも分からない本よりは、読んで分かる本というのは意義深い。しかも、ジュニア世代に分かるように書くというのは実は高度な技術が必要なのであって、分かる奴だけが分かればいい式に適当に書くわけにはゆかない。よく練られた説明や表現がそこにあると言ってよい。曖昧に書くこともできないのだ。世間的には地味かもしれないが、こうしたシリーズは、実に丁寧に作られており、厳選された内容だということばしばしばである。
 さて、最近紹介した、同じシリーズの『勉強法が変わる本』の中に、この『ヨーロッパ思想入門』が絶賛されていたことをきっかけに、探して入手した。私はその道を大学時代に学び考えた一人である。ギリシア哲学とヘブライ思想とをヨーロッパ思想の源流として見るのは、必ずしも唯一の考え方ではないのだが、おおまかに言って定説と見なされていると言える。これをベースとして、高校生あたりの読者に対して、ヨーロッパ思想の歴史を二百頁余りの新書で分かるように書こうというのは、生やさしいことではない。しかしそれが見事になされているのだという。これは興味深いではないか。
 すると、驚いたことに、これが高校生相手に、すなわち、倫理の教科書を学んだかどうかぎりぎりという段階の青年に向けて書かれたのかと思われるほどに、レベルが高いのである。もちろん、すべての思想家について、その著作全体を網羅するようなゆとりは量的にない。しかしだからこそ逆に、そこに何を盛り込むかということも含めて、工夫を要する企画なのだ。その技術も含めて、書かれてあることが、実に深く、本格的なのである。
 これは大学初級だとも言ってよい。ひととおり倫理の教科書を学んだ者が、それを十倍以上深めるというときに適切な教材である。専門用語も哲学史からしてまさにそのまま、その説明の適切さももちろんである。世界史とか日本史とかいうものは、知識としてはどうであれ、大人が読めば、なるほどと肯きながら読み進めるものである。人生経験が豊かになればそれなりに把握してくる内容なのだから、人生を長くすれば、学生時代よりは読みやすくなるはずである。しかし、私が専門家だから言うのではあるが、これだけの専門用語を並べて思想史を哲学的に深めつつ語るものが、一般の方々にどれほどピンとくるであろうか。大学の初めに、哲学的な思考をそれなりに会得してからでなければ、読みづらいのではないか。そもそもこういう話題が好きな人ならばまだしも、そうでなければ、何ややこしい当たり前みたいなことをほじくりだすように議論しているのか、と疑問を持ちかねない内容だと言えよう。
 ギリシア・ユダヤ・哲学史という三段階でおおまかに分けていると見てよい。目次からもそれが窺える。信仰的なことについては、哲学あるいは思想という視点からばっさり切り取っている。つまり、信仰の内容と、思想としての事実とをよく分けて述べていると思う。だから、この本から信仰を得ようとするのは難しい。しかし、より学的に、歴史の事実としてキリスト教や聖書のことを、ポイントを突いた形で概観しているのは確かである。このポイントなるものは、確実に著者の独断なのであり、どの思想家についてもそうなのだが、これがやはりなかなか筋が通っており、本全体としての読後感にも好印象を与えるであろうものとなっている。聖書も引用を含め、聖書思想を明確に掴むための配慮がなされている。やや、自由主義神学あるいは学的な切り取り方に傾き、断定的に研究結果を掲げるだけのようなところなど、やむを得ない部分も見られるけれども、概して的確に説明されている。なるほど、この本が西欧思想の解説として優れていると言われるわけだ。
 切り取り方が、近代のフランスの思想家の言明からなされているところが目立つなど、著者の趣味や研究分野による制約はあるものの、本全体はたしかに要点も分かりやすく、読んで役立つ内容となっていると言える。初めて思想史を学ぶ人にも十分対応できるだろう。ただし、書かれてあることを全部理解しなければならない、と重荷を感じるようなことをせず、人類の思考の最高峰を眺めるつもりで、挑んでみるとよい。哲学史全体を究めるのは短時間では無理だが、こうした、ややテーマ性を以て編集されたよい解説の本を頼りにするというのは、なかなかよいものだ。
 図版もところどころあり、効果的である。キリスト教については、信仰の立場で書かれているわけでもないし、聖書を神の言葉だと告白して読むようなものでもないわけで、クリスチャンから見ればそうかねぇと言いたくなるようなところもあることは間違いない。だが、聖書のそこのところはそのことが書いてあったのか、と目を開かれるようなことも、おそらくあるだろう。合理的な解説だから霊的には価値がない、などと決めつける必要はない。哲学的に真摯に考え抜いた人の言葉には、感動させるものがある。たとえば私は「証し」ということについて、実にシャープなまとめだと感心した。それが何であるのか、具体的にはここでは割愛する。専門的な知識なしに立ち向かうならば、ぜひゆっくりと思考しつつお読み戴きたい。するめのように味が次々に感じられることだろう。




Takapan
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