本

『篠山のエステル』

ホンとの本

『篠山のエステル』
小嶋星子
いのちのことば社
\1575
2011.11.

 篠山は、妻の実家のある福知山に近い。だいたいどんなふうな場所か、直接その地を訪ねたことはないが、想像には難くない。そこに住む方の自伝である。
 シルバーエコーささやま、という混声合唱団を創立し、海外でも公演している。シルバーという響きからも推測される通り、それは高齢の方々の集まりである。この本の中では、平均年齢75歳であると記されている。
 しかし、この本は合唱団の謂われを詳細に伝えるというものではない。やはりあくまでも自伝である。いわば普通の主婦であった著者が、こうした大きな働きをするに至った経緯であるが、その生い立ち、夫婦関係の破綻から回復、子育ての難しさや周囲の無理解など、サブタイトルにあるように「試練、それは神の愛」という言葉を十分伝えるものとなっている。そして、クリスチャンであるということで、そこに神の愛を見いだしている心もよく伝わってくる。
 エステルというのは、旧約聖書に登場するひとりの女性の名であるが、また一つの書の名前でもある。ペルシア王の妃として召された女性エステルが、ユダヤ民族の滅亡を防ぐという物語である。いわば本人の意志によらずして訪れた機会が、ひとつの勇気ある行為を行う決断により、神の民を動かす大きな力となったという経過をそれは示している。ユダヤのプリムの祭の由来を説明する物語ともなっているのだが、この本の著者は、自らをそのエステルにたとえている。特別な訓練を受けたわけでもない、平凡な一女性が、人々に大きな喜びや希望を与える働きを担うことができたことを、神の導きとして受け止めているのである。
 その細かな経緯をここで紹介するわけにはゆくまい。ただ、文章として、本として、  非常に読みにくいものであることには触れておいて差し支えないだろう。これは悪口ではない。つまり、本当にこのいわば素人の一女性が、自分のことを綴った文章だということである。ゴーストライターなどではない、ということだ。
 もちろん、一定の水準はある。しかし、本としてまとまったものを読者が見るとき、理解しづらいのだ。というのは、時間軸がころころずれ、どれが先でどれが後の出来事であるのか分からなくなってしまう点、また、読者が知らないことも恰も分かっているかのような調子で紹介せず書き進み、後で読者は、そういうことだったのか、とまとめあげて理解しなければならないことがままある点など、読み手の心理を配慮することがあまりできておらず、ひたすら自分の中にあるものを吐き出そう、という勢いの中で文章が綴られている印象が拭えないからだ。つまりは、素人の文章である。文章を書き慣れていない人の手によるものであり、人生相談でまとまりもなく滔々と自分の苦労を語る女性が現れた状態に近いのである。
 これが芸能人の告白本だとしたら、もっと読みやすくなっている。というのは、別にライターがいて、読者が一読してすっと入るような時間軸を設定し、あるいは説明の配慮をしながら構成していくので、予備知識がない読者であっても、素直にその流れに入っていけるのである。しかし、この本の場合には、著者が聞いてほしい事柄が、読者の都合におかまいなしに次々と展開し、またばらまかれてくるので、そういえばあれはこうで、これはこうで、と、著者の関心のままに羅列されてくるわけで、読者は話し手の気持ちを思いやりながらその苦労話に耳を傾けていかなければならない。
 もしかすると、女性の中には、こうした話を聞くのが上手である人が多いかもしれない。しかし筋道を通して理解していきたいと思う私のような場合には、ひじょうに戸惑った。これは、時間順に書けばよい、というものでもない。テーマ毎に記すのは、悪いことではない。だが、その同じテーマの中でも、時間がぶれているし、続けて読んで理解していこうとすると、まるでジグソーパズルのあちらこちらを思いつくままにはめこんでいくような操作を要求されているように感じるのだ。
 また、そこには、ずいぶんと他人のことを悪く言っている部分もある。篠山の地域性についても、公的配慮が足りない印象を与える。フォローしているつもりではあるかもしれないが、やはり地域性の非道ぶりばかりが読者の心には残ってしまうので、普通はもう少し違う書き方をして然るべきなのだ。ここに書かれてあるままがすべて真実だとして受け止めると、何人かの人は非常に悪意の塊であり、また犯罪者であるような印象を与えてしまう。夫にしても、暴力者であることばかりが記されていて、最後に「ありがとう」としきりに書かれていることと、読者としては、なかなか結びつかない。きっと御自分の中では、自分への加害者としての夫と、自分が人生を共にしてきた伴侶としての夫との間のバランスやつながりがあるはずなのだろうが、途中が抜けているので、読者は、これほど悪い男が、どうして感謝されるのか、理解できないという気がするのだ。しかし、悩み相談を聞く女性同士の話の場合だと、「うん、うん」と聞く方が思いやってつないであげるものなのだろう。
 ただ、繰り返すが、これは悪く言っているのではない。素人の、素朴で嘘のない自伝だということである。虚飾がないので、事実かどうかはともかくとして、話し手においての真実が綴られているのだろう、と信用できる。となると、こうして出版されるということは、非常にラッキーな出来事であるのだろうと思う。そして、こういう類の苦労話を聞くのが好きな方には、恰好の本であるとも言えるだろう。また、このコーラスの関係者にとっても、その由来めいたものが分かりやすいものと思われる。
 こうしたことを前提にして、お話を聞いて差し上げればよいのだろうと思う。




Takapan
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