本

『エッシャー 不思議のヒミツ』

ホンとの本

『エッシャー 不思議のヒミツ』
求龍堂
\3000+
2023.12.

 2023年末から2024年にかけて、1年近くの時を用いて、日本の数カ所で、エッシャー展が開かれる。そのタイトルが「エッシャー 不思議のヒミツ」となっている。本書がその会場に置かれているかどうかは知らないが、恐らく公式目録であるのだろう。
 多少のカラーを用いながら、B5サイズで300頁弱、厚手の紙を用いた、立派な本である。もともとエッシャーの作品というのが版画家であるために、多色刷りをしたわけではない。聖書を題材とした版画で有名なドレの死後しばらくして、エッシャーは生まれた。
 エッシャーといえば、いわゆる「だまし絵」で有名であろう。確かに、それは衝撃的であった。錯視というものではない。普通に見ているのに、それを現実に立体的に実現しようとすると、矛盾極まりないものとなるのだ。私も少年期にまず見たときに、度肝を抜かれた。そして、つくづく面白いと思った。
 当時私は、数学に魅力を覚えていた。数学のように、世界の問題はきれいに解決できると信じていた。曖昧なことはなく、正義は正義、悪は悪、とでも考えていたのだろうと思う。その私のスピリットと、何か繋がるものがあったことには、いままでよく知らなかった。
 エッシャー自身、数学に魅力を感じたのだ。高校までの数学しか知らないし、自分が数学を得意なのだとは知らなかったエッシャーだったが、グラフィックの道に進んだとき、数学的な理解と解決へ熱中するのだ。こうして数学的、あるいはまた哲学的な思想にも向き合い、おそらくはパラドックスという概念が、作品に影響を与えているのだろうと私は感じる。見かけあるいは思いなしとしてのドクサを超えて、バラドクサ、すなわち逆説へと進むのは、ある意味で必然的であった。
 目録は、初期のものから並べてある。そこには何の「だまし絵」もない。また、旧約聖書を題材にした、それこそドレのようなモチーフの作品が続く。但し、ドレは聖書の場面をなんとか描こうと努めているのに対し、エッシャーは、独自の解釈をそこにぶつけてゆく。特に1928年の「バベルの塔」は、摩天楼のようなビルを、斜め上から俯瞰した構図をとっている。解説によると、エッシャーが通常とは異なる視点を用いた最初の作品であるという。
 だが、ことさらに目立つ作品があるわけではない時期が続く中、昆虫を題材にすることがあり、その中の「夢(カマキリ)」は、かなり幻想的な作品となっている。題材は風景などいろいろ変化するが、アングルの独自性が次第に明らかになってくると共に、版画の質も細密になってゆく。
 やがて、幾何学的な「敷き詰め」が始まる。ようやく、私たちが普通に知るエッシャーの作品が現れてきた。とにかく様々な実験をしているかのように、敷き詰められた形が描かれる。地が図となり、図が地となることが混じってくるのだ。
 ここから、次の「変容」に進むのは、分かるような気がする。図と地とが、ただ収まっているだけではなく、互いに変化する様子が1枚の作品の中に説明されるのだ。これで、作品の中に、幾何学的な風景だけではなく、時間的な動きを表現することができる。
 さらに、今度は平面幾何学が、空間幾何学へと進化する。二次元の表現が、三次元を超えてしまうのだ。これがまた有名な、錯視のような効果をもつ不思議な世界を呈するようになってゆく。しかし本当にそうなるのは、さらに次の「逆説」の段階である、と目録は並べ直す。ここまで行き着いた作品は、さほど多くないのだが、よく知られているものが多く詰まっている。
 最後には、普通に依頼されて製作したものが幾つか紹介されている。飯を食っていくために、芸術家も、どこか不本意な思いでコツコツと仕事をしていたのだろう。当たり前のことだ。自分理想を追い求め、売れなくても描き続けた、といった逸話が聞かれないこともないが、誰もがしがない仕事をして、生活をしていた。エッシャー自身がどういう気持ちでやっていたか、そこまでは分からないが、少なくともここにあるわずかなものからでも、カードや切手、プログラムの表紙など、多くの仕事をしていたことが分かる。小品集とでも呼べばよいだろうか。
 重い本である。だが人の生涯は、どんな本よりも重い。最後になるが、私はかつて『ゲ-デル,エッシャ-,バッハ』という不思議な本に出会った。三人とも私の関心の先にあったために、貧しい学生時分でありながら、購入した。まだそれはここにある。内容を理解したとは思えないが、この三人がつながる輪というものは、何かあるように私にも思えて仕方がない。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります