本

『稔と仔犬 青いお城』

ホンとの本

『稔と仔犬 青いお城』
遠藤周作
河出書房新社
\1700+
2022.2.

 私がそのニュースを聞いたのは、2021年の12月も下旬にさしかかろうとする時だった。遠藤周作の、これまで知られていなかった「童話」が発見された、というのだ。
 もちろん、本当に「発見」されたのは、ずっと前のはずだが、その出典を探るのに時間がかかり、最終的に満を持して公表されたということである。この過程についてはさらに詳しく、本書の「解題」に記されている。
 本書には冠が付せられていて、「遠藤周作初期童話」とある。1955年から翌年にかけての連載作品である。カトリック関係の新聞に連載されていたことが分かったという経緯である。しかし、実はこの「稔と仔犬」は未完である。まだこの後どうなるかに関心が湧くが、あいにく連載中止となり、そのままとなってしまった。
 ところがその切られたところでは、マリア像に関して、いわばある不敬なことをするという情景が描かれている。主人公は少年である。そして信仰をもっているわけではない。だが、その構図は、確かに遠藤周作の代表作『沈黙』を思わせるものがある。実際本書の帯には「『沈黙』の原点とも言える衝撃作、初の単行本化!」と、商業ベースではあるが書かれている。(申し訳ないが、その『沈黙』についてご存じない方のためにいま説明しているゆとりがないので、調べて戴ければ幸いである。)
 お話であるため、話をすべて明かすことは遠慮する。少年稔が犬と出会い、家に連れて帰る。とても飼えるような家ではない。ところが偶然出会ったカトリック教会の神父が、その犬を代わりに飼ってやることになる。そこに、いじめっ子が現れ、稔のその仔犬を奪おうとする。
 これは単行本で40頁という中で終わってしまう。続いて、「青いお城」が150頁を越える分量で待っている。こちらは1963年から翌年にかけて、『りぼん』に連載されていたものであるという。『りぼん』といえば少女マンガ雑誌であるが、当時は小説もいくらか載せられていたのだという。私はその後の時代の『りぼん』の愛読者であったが、このことは知らなかった。紹介されているところによると、同様にそこに子どものために物語を認めた作家として、吉行淳之介・曾野綾子・阿川弘之・三浦朱門と、堂々たる名前が連なっている。遠藤周作は、少女のためにお話を書くのは初めてだ、とそのときの紹介にあるのだというから、確かにこれは非常に珍しいものであるには違いない。
 九州から東京の小学校に来た平吉が、田舎者丸出しで登場するところは、当時としては仕方のない偏見のようにも見えるが、その隣の席のたえ子と、深く関わっていく。たえ子は、バレエが好きになったが、八百屋の娘がちゃんちゃらおかしいと、裕福な女の子やいじめっ子が2人を標的にする。平吉には戦争にまつわる辛い家庭環境があったが、このバレエを通して、たえ子の夢と、平吉の家庭事情とが、絡み合って、感動的な解決に向かうということになる。
 およそあり得ないような設定や事件のようにも見えるが、これはそのままマンガというスタイルにしても、なかなか面白いストーリーではなかったかと思う。つまり、少女雑誌として、確かになかなかのものなのである。そんなにうまくいくかよ、とも思えるような偶然の中で展開する物語も、考えてみれば、こうしたマンガではおなじみのものである。いろいろな大人が優しく扱ってくれる少年と少女に対して、金持ちやいじめっ子という形で敵役が出てくるのもありきたりではあるが、必ずしも悪人というわけではない。こうした「いじめっ子」は当時は普通のことだったのだ。ドラえもんのジャイアンだって、いまはだいぶ現代風だが、最初はかなり憎らしい悪役だったはずだ。
 そういうわけで、私は愉快でたまらなく、面白いという気持ちを少しも冷まされることなく、最後まで一気に読んでしまった。作家というものは、どういう場所でどういう人のために書いても、引き込ませることや心をくすぐることにかけては、一流であるのだと改めて驚いた。「さすが」としか言いようがない気分である。
 きっと文学研究者としては、本の帯にも書いてあるように、遠藤周作のキリスト教理解と重ねて読み解きたいものだろうとは思うが、たぶんそんなこと関係なしに、楽しんで読んだらよいと思う。快い気分になれたら、それで、その作品は、読む価値があったのである。私は、きっとこれらの作品を、ずっと忘れないだろうと思う。




Takapan
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