本

『エキュメニカルな信仰告白に向けて』

ホンとの本

『エキュメニカルな信仰告白に向けて』
WCC信仰職制委員会編
日本聖書神学校歴史神学ゼミ訳
笠原義久監訳
JBTS神学校
\2500+
2017.1.

 宗教改革500年から時間も経ったが、果たしてカトリックとプロテスタントの間の和解や協力が、その後展開していると言えるのだろうか。聖書協会共同訳も出版され、双方向的な聖書理解も第二弾が始まった。その中で、エキュメニカルな動きが、もっと刺激的に、もっと爆発的に、進展していって然るべきではないかとも思うが、プロテスタントの側からも広くこれに参与しようとする動きはなく、あまり盛り上がっていないように思われるのは残念である。
 これはそうした大きな動きに基づくものではない。日本聖書神学校のゼミナールにおいて、信仰告白の文書を読み解いた学習を、ひとつの実りとして世に問うたというところのものであろうか。プロテスタントの中では必ずしも小さくはない組織における出来事だが、中でも地味なひとつのゼミナールが学習してきた『古代キリスト教信条』というテキストを訳したという形になっている。世界の様々な立場の学者たちが、ニカイア信条について意見を交わした様子が、それが紹介されているという具合である。
 使徒的信仰の共通の言葉はないだろうか。いわゆる使徒信条もそのひとつであるが、それと比較してもう少し詳しい信条がここにある。それを信仰する者たちが共に唱えられるものとして使っていきたいが、その場合、流派に違いどこがどのように違っているのか、また同じであるのか、そのあたりが本書の中でもいろいろ指摘されている。とくに現代社会で疑われていることや問題点が指摘されているという場面を、随所で見出すことができるのは、古い信条あるいは自分たちの信仰内容と、現代社会との接点を探したり、問題点が挙げられているという事実を考えたりするに際して、大きな学びになりうる資料となっている。
 信条が紹介されると、その後はひたすらその内容文を短く切りながら、一つひとつの言葉についての歴史的な理解や議論の箇所が指摘されながら、淡々と本書は進んでいく。「ただひとりの神」に始まり「全能の父」へと進むが、信条本文について恰も黙想を重ねる如く、集まった意見が並べられ、また検討される。その後御子イエスから聖霊、教会、罪の問題や命の行く先についての信条とそれに対する意見が足されていく。現代的にどう扱おうとしているのか、扱われているのか、それを知るのは一般の本ではやりにくいものであろうが、それがさりげなく混ぜられ告げられていくのは、少し気持ちがよいようにも思われた。
 終わりのほうでは、神学用語の解説集があり、そこだけ見てもかなり役立ちそうでもある。
 325年に公会議が開かれ、東西の教会から司教たちが集まり、ニカイア・コンスタンティノポリス信条が練り上げられた。最終的には381年の第二回会議で確定されたとされるが、使徒信条は西方教会にほぼ限られるのに対して、東方教会をも含めた広い範囲で意見をまとめたこの信条は、よりエキュメニカルな動きに相応しいと言えるとされる。果たしていまこれですんなりと一つになれるかというのは難しいことであろうが、ここにある信条とそれへの精緻な検討は、エキュメニカルを志向する心にとっては、有意義な研究であったと思うし、また有意義にしなければならないとも言える。せっかくの研究もいま埋もれているに過ぎない状況である。それで手に取った私が、せめてひろめるためにこうして公開していきたいと思ったのである。




Takapan
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