本

『東アジアにおける平和と和解』

ホンとの本

『東アジアにおける平和と和解』
福岡女学院キリスト教センター・徐亦猛編
かんよう出版
\2400+
2019.5.

 サブタイトルに「キリスト教が貢献できること」と掲げられている。福岡女学院は、1885年に創立した、メソジスト系のミッションスクールで、英和女学校という形で始まった。1921年にセーラー服を制服に制定して、これが全国に広まったとされる。現在では、幼稚園から中高を擁し、短期大学と大学、それから看護大学を含む大きな学校となっている。
 本書は、福岡女学院大学教授を中心に、中国・韓国からのメンバーを加え、日本各地からも研究者を集め、結集した作品である。それは、国際シンポジウムの成果である。2018年1月27日に、福岡女学院に於いて開催された、「東アジアにおける平和と和解のためのキリスト教の貢献」という題のシンポジウムであった。
 日本にいながら、東アジアの出来事について、こうも知らないことが多いことを思い知らされた。本書を読むことにより、目を開かれた思いがする。
 が、福岡女学院院長の「はじめに」の中で、「これほどまでにこのテーマが切実なものになるとは思ってもみませんでした」とあることからすると、必ずしも私だけが無知であったとは限らないようにも思われる。
 また、そこでは、平和が「国や民族という枠組み」で捉えられるのが通例であるかもしれないが、世界宗教としてのキリスト教が、その枠組みに制限されず、何か新しい視野を提供できないか、という期待も示されている。
 東アジアの平和という問題意識は、当然戦争に的を向けることになるだろう。そして、いまに関わる戦争として、太平洋戦争を取り上げないわけにはゆかない。キリスト教とて、戦争賛美の声に合わせるようなことをしていたことが指摘されるのは、日本国内でもあるのだが、中国や韓国の研究者から突きつけられると、非常に痛いし、痛いと感じなければならない。その日本のキリスト教が、戦争責任という言葉を正式に表す迄には、戦後ずいぶん時間がかかっているのは何故か、私たちは振り返らなければなるまい。本書ではそこを強く示すものではないが、だからこそ私たちの課題となるだろうと思う。
 しかし、その点だけのシンポジウムではなかった。中国の清朝の外国語教育の事実とその意義を論じたものについては、私などは完全に何も知らなかったし、言われてみればなるほどと思う指摘が多々あった。海洋文学の存在の意義を目の前にもたらされたものもあったし、韓国のキリスト教の教育についても学ぶことしかないと思った。
 台湾には、キリスト教宣教師が訪れていることを、京都の私の教会ではよく聞いていた。原住民という言い方はよくないかもしれないが、山地にはまたあまり知られていない部族のような人々がいるというし、そこに宣教する人の報告も聞いたことがある。本書で触れたことは、そこに反核運動が広がっているという情況だった。悪霊信仰の強いところであったが、日本軍はそこに皇民化教育を強いていた。戦後、それの否定の流れで、キリスト教が期待されたのだが、実際どうなっているかは不明なのだという。
 台湾は、日本のように地震の多い地域である。しかも被害が甚大であることがよくある。森祐理さんが、台湾に慰問に幾度行ったか知れないほどであり、台湾の言葉で歌を歌うなど受け容れられ、2019年には台湾外交部から勲章を受けている。他方、日本の震災には、台湾からは信じられないほどの支援金が人々から集められ、届けられている。私たちはもっと台湾について関心をもって然るべきだと思う。
 歴史の中でもっと知るべきだと思わされたのは、満州国の時代に、キリスト教がどのように活動していたか、という点についてである。現地調査にも出て行くのだが、十分分からないことも多々あったようだ。特にこのレポートは、バプテスト派が独自に派遣したものであって、もっと広く深い探究がなされる必要がありそうな気がした。この点については、二人の人が本書で報告している。
 日韓の漫画から歴史認識を探るものは、韓国で人気の漫画について教えてくれていたが、そうしたものは日本にはなかなか紹介されないのかもしれない。日本の漫画は諸外国にどんどん輸出され、アニメも含めて、日本の文化が、恰も現地での作品のように当然に知られているそうだが、逆に日本へ、中国や韓国の漫画が入ってくるということが少ないような気がする。日本国内だけで溢れるほどのそうしたものがあるから、受け容れるのは難しいかもしれないが、理解するためには、そうした文化に触れることが必要だろうと思う。受け容れないのは、単に経済的な方面の意味だけでなく、文化的に、心理的に、拒んでいることがないかどうか、問われているように思う。
 日本のキリスト教徒における、反戦思想も興味深く読ませて戴いた。雑誌『福音と世界』で、日本的キリスト教というようにして、キリスト教内部で日本の天皇や戦争にかなり寄り添った強い思想が実にたくさんあったことが紹介されているが、ここでの論文では、柏木義円と石川三四郎、そして矢内原忠雄が取り上げられ、なかなか厚みのある報告となっている。個人的に、かなり近い気持ちを抱きつつ読むことができた。というのは、いま私たちがどういう態度をとるか、に直接関わっていると思われたからである。戦争の前に戦争反対を強く言っていても、いざ始まってみると、どこかで戦争を認めるような発言に変わる、という点に触れられているからである。もちろん、それは卑怯だなどと言うつもりはない。そういう時代状況になることそのものを、今後どう防ぐことができるのか、考えなければならないと思うのである。
 最後に、賀川豊彦について改めて知る機会も与えられたが、それに比較されて紹介された、中国の平和主義者呉耀宗(ごようそう?)というキリスト者については、感動するばかりであった。平和についてももちろんだが、その「愛」についての思想と実践は、もっと知らねばならないと思わされた。
 本書の「あとがき」は、福岡女学院大学の学長によるもので、短い中に、聖書と日本国憲法を軸に強いメッセージがこめられていたが、そこに、このような印象的な言葉が綴られている。「主と主にある兄弟姉妹に罪の赦しを乞うことと、現代のアナニアを主が遣わされることへの待望」を自分がすべきだというのだ。アナニア――後にパウロと称されるサウロを迎え入れた、ダマスコの弟子である。しかし、どこかにアナニアがいないかなぁ、というようにも聞こえるのは、学長という立場だからであろう。読者に、そうなってほしいという願いのようなものなのだろうと思う。だが……と、私はそこに引っかかりをもったのであった。




Takapan
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