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『ユリイカ[詩と批評]11.November2010 特集・猫』

ホンとの本

『ユリイカ[詩と批評]11.November2010 特集・猫』
青土社
\1238+
2010.11.

 月刊誌なのに、私の手に入れたこの本は2015年の第6刷であった。次々と要請があって変われ続けていたのだろうか。事実私が購入したのは、2021年のことであった。
 「現代思想」という雑誌も出しているが、それに対してこちらはきっとサブカルチャーの方面だろう。実は「現代思想」よりもこちらのほうが古いらしいが、サブカル化したのは近年のことなのかもしれない。
 特集が「猫」だから買った。その捉え方のキャッチフレーズは「この愛らしくも不可思議な隣人」をである。
 角田光代と西加奈子の対談は、猫大好き人間によりどんどん盛り上がっていく。短い文章が多く続くが、安倍譲二から町田康、室井滋も荒木経惟も朝吹真理子も並んでくる。マンガ文化も入るから、いがらしみきおだのくるねこ大和だのが居並び、そうかと思うと、池内紀のような重鎮も斎藤環のような医師も加わってくる。もとよりこうした人は文筆家でもあるわけだが。
 いやはや、いろいろな人が猫に取り憑かれているものだ。そして私もそれは分かる。学生時代に、猫を飼っていた。否、飼ってなどいない。木造アパートの一階に暮らしていたが、三畳大ほどの庭先は、下部の空いたトタン壁。その向こうを、猫たちが通ることになっていた。時折縁側にひなたぼっこにくることがあり、私が安全な奴だと分かると、次第に親密になっていった。貧しいので煮干し程度で我慢してもらうが、置いておくとすっかり安心し、いろいろな猫が寄っていくようになった。
 そのうちサッシの隅も開け放って寝るようにしておくと、夜中に猫が出入りもする。私の布団の上に載ってきて、ふみふみもしてくれる。
 冬は炬燵を置いていたが、これが猫に好評で、自ら潜っていく。電源を入れていなくても、京都の冬を耐えるには猫にとり安眠の場所となっていた。あるとき、大学から帰って炬燵の中を覗くと、猫の数が増えていた。生まれたての猫はそのとき初めて見た。親猫もよくしたもので、私が子どもを触っても怒ることはなかった。もちろん、むやみに触ろうとはしなかったけれども。それなりに心は通じるものだ。
 私に対して馴染まない子猫もいた。子猫はえてして用心深いものだ。その点、『帰ってきた空飛び猫』に出てくるジェーンみたいな様子はよく分かる。そうなると私も心地よくは思えないので、正直いじめたことがある。いまにして思えば悪いことをしたと思っている。
 そんな私の猫との関わりをいくらお話ししても仕方がないことなのだが、だからまた、こうした猫についてのマニアックな文章も、心に響くことが多々あるということが言いたかっただけである。
 ユリイカは文芸的であり、先に触れたようにサブカル的な自由な試みに溢れている。本書にはイラスト解説やコママンガも少し含まれるし、猫についての文芸作品をはじめ、絵本やコミックス、そして動画まで様々に紹介される。しかし動画は、その後10年を経て、無数に多くなっているはずである。私のSNSにも、毎日毎時、猫の動画が飛び込んでくる。それだけ私も、時折猫動画をクリックしているから、次々とくるのであろう。
 飼ってもいないくせに、猫とは心がつながっていることを確信しているおめでたい奴である。そこらを歩いていて出会った猫に、私が鳴き声を向けると、大抵の猫は、どこに猫がいるのか、という雰囲気で振り向き、辺りを探す。そして私と目が合うと、しばらく考えに耽るのである。
 こんな私だから、本書のようなものは、けっこうたまらない。




Takapan
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