本

『ドラッカー先生の授業』

ホンとの本

『ドラッカー先生の授業』
ウィリアム・A・コーン
有賀裕子訳
ランダムハウス講談社
1900\+
2008.9.

 古書店を出ようとしたときに、床に置かれたこの本がふと目に止まり、ふだんあまりしないのだが、衝動的にそれをレジに持っていった。
 ピーター・ドラッカーの本は数冊読んだ。経営については私は分からないが、そのマネジメントという考え方には、世間で話題になっていたこともあり、関心をもったのだ。そして、その非営利組織への世にも稀な言及は、ボランティア活動や教会組織への関わりという点で、大いに学ぶところがあった。もちろんその基底に、マネジメント一般の考えがあることは言うまでもない。
 著書がたくさんあることでも知られるドラッカーであるが、この本のユニークさは、ドラッカー自身の著作ではなく、その授業を受けた人のレポートであるという点にある。サブタイトルに「私を育てた知識創造の実験室」とあるが、著者自身、マネジメントやリーダーシップの指導における権威である。夜間の大学院でドラッカーに師事し、そこで学んだことをここに描いている。それは、身近な弟子から見たドラッカーの素顔を伝えたという点で非常に意義深いものなのだそうである。
 先生の著書に描いてあることは、どういう背景をもっているのか。そう、研究論文なり著書なり、推敲され読者や出版事情を配慮して練り上げられたものは、作品のほんの一角に過ぎず、それを支える海面下の塊に何があるのかは、その作品からは類推するしかない。講義のような場で、凡そ実験的にかもしれないが、百語ったことのうち、一でも著作に描かれたらよいという程度のものではないかと思う。その語りまくった講義、そこに滲み出た人間性というものを、著者はふんだんに味わい、捉えている。そのレポートには、著者自身の事情や思惑なども含まれているものの、本書の多くの場面では、「先生は」というように、ドラッカーが何を言ったのか、何をしたのか、どのようであったのか、について貴重な報告をしてくれているように見える。だから、そのファンにはたまらないものだろう。
 だが、たとえファンでないにしても、ドラッカーの真意や強調点がこれからよく伝わってくる。授業で絶えず繰り返すことは、それだけ伝えたい本音であるはずだ。著書ではくどくなる繰り返しも、話す場面ではいくらでもぶつけてくるだろう。また、何かトラブルがあったり、無理解に襲われたりしたときにも、一番言いたいことや本音が、つい出てくるというものであるに違いない。本書はそうした、著書には直接現れてこないドラッカーの真意が見え隠れしているように感じるのだ。
 そして、当時のビジネス界における実例もたっぷり描かれる。日本にいる私のような素人には縁遠いものもあるが、ビジネスパーソンならばどの例も、確かに、と思うものではないだろうか。また、本書には、日本という単語が意外と多く出てくる。アメリカなどから見ても、日本の存在は非常に大きかったに違いない。ある商法は、なんと日本が江戸時代に世界最初に行っていた、とまで述べ、日本の方法にも大いにリスペクトが払われていることが分かる。もちろんドラッカー自身、著書で日本に言及することもあるし、やはり当時日本という存在は、西洋諸国にとり大きな意味あるものであったということなのだろう。
 過去に囚われてはならない。専門世界に閉じこもってはならない。将来を決めることばできないが切り開くことはできるから努力を怠ることなかれ。見た目や肩書きに囚われず、人間を見つめよ。人材を大切に扱え。従来の常識に全幅の信頼を寄せるのではなく、いまの状況を捉えなければならない。ドラッカーが他の著書でも述べているようなことが繰り返されるのは当然であるが、それをドラッカー自身の論理と口調で記すのではなく、その口から聞いた弟子を通して私たちにもたらされる説明がここにあるというのは、確かに貴重であるはずである。
 地味な本だが、関心のある方は探してみられるといい。




Takapan
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